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死刑と人権 [社会]

 犯人に対して拘束ではなく、射殺という手段を安易に取るような国が多い中で、死刑制度は人権軽視だから止めろと外国から日本に文句が向けられる。
 裁判を受ける機会すら与えずに殺す方が相当の人権軽視だと思うのだが。平等とか平和とか愛とかと同じく、人権の尊重という言葉や概念ばかりが、この不釣り合いな世の中で錦の御旗のようにはためいているだけである。
 殺人という最大の人権侵害に対する罰として、充分に検証した上で犯人の人権を剥奪する。人権対人権の問題であって、第三者である裁く側や刑を執行する側の人権意識の問題ではない。
 もちろん他にも様々な視点や意見はあり、こんな短い文言で語り尽くせるものではないが、死刑制度の賛否にはどちらにも合理性が認められるゆえに積極的な賛成も反対もし得ない中で、基本的にはなんとなくこんな思いを持っている。

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歌丸と中国 [社会]

 歌丸師匠の死去に伴って、日本共産党が、
『桂歌丸さんは訴えていた、戦争の愚かさを。「あんなものは愚の骨頂です」』
 というツイートをし、故人を政治利用するなと批判されている。
 これを読んで真っ先に思い起こしたのは、北京五輪が開催される数年前のことだ。
 反日デモが中国で盛んになり、暴力的な騒ぎが頻繁に起こっていたことについて、歌丸師匠は笑点の冒頭で次のような主旨のことを話している。
『公使の車を破壊して誰も逮捕されない、こんな訳の分からないことはありません。あの国にオリンピックをやる資格があるんでしょうか?』
 日本共産党はこの発言を聞いて、どう思ったのだろう。それとも、もう忘れてしまったのか。

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画一的な応援 [社会]

 今回の冬季オリンピックに関してはどうだったか知らないが、国際的なスポーツ競技が開催されるときに選手に対してよくなされる不愉快な言葉がある。「自分が楽しむことを第一にして欲しい」というアドバイスである。なぜ不愉快かと言えば、この言葉には、「日本のためとか日の丸のため、ということではなく」といった前提が置かれているからだ。
 重圧を和らげようとする意図があるとしても、まったく大きなお世話である。選手がどういうモチベーションで競技をしているのか個別的な違いを無視し、国という概念を消し去ることが絶対の真理であるかのように決めつけるのはいかがなものだろう。国のために頑張ろうと意気込んでいる選手なら、逆に気分を削がれるのではなかろうか。
 何のために戦うか、動機や目的は人それぞれにある。他人に指図される筋合いではないし、画一的に決めつけられる筋合いもない。

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黒人差別と日本人 [社会]

 年齢を聞かれて「年なんてどうでもいいことをなぜ聞くのか」と憤慨する人は、どうでもいいなら普通に答えればよいということに気づかないで、逆にこだわっている人である。

 黒人俳優の風貌の物真似をしている日本人を見て「黒人の肌の色を侮蔑している」感じる人は、自身が黒い肌を何か触れてはいけないタブーのように見ていることに気づかないで、屈折した差別的な感情を内に抱いている人である。
 かつて差別的な意味において白人が黒い肌の真似をした歴史があったとしても、それは彼らの歴史が抱えている負の遺産であって、日本人の歴史ではない。
 笑いと差別に重なるところが多いとはいえ、笑いはそのまま侮蔑を意味するのではない。白人の俳優の真似をしているお笑いタレントは多くいるが、その真似に対して差別だという声が挙がったことはなく、演じている人にも見ている人にも差別的感情なんてどこにも生じていない。
 真似をしてはいけない特殊な位置に黒人を据えるというのは、そのこと自体が差別であろう。奴隷として虐げてきた歴史のある人たちにとっては未だタブーとしての性格を失っていないのだろうが、そのタブーを無関係の者たちにも押しつけるのは傍迷惑な自己中心的思考であり、また同様の批判をする非西洋人は短絡的で思慮の足りない間抜けでしかない。
 平等や反差別といった主張そのものには誰も異を唱えることはできないが、だからといってそこで検証されている事に対する認識が正しいとは限らず、鵜呑みにしないことが肝要だ。

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少数者の傲慢 [社会]

 数年前からこの時期になると、除夜の鐘がうるさいという苦情が来たからと自粛するといったことが起こっている。これに関しては、寺の存在や鐘を鳴らす風習が昔からあるのだから、後から寺の近隣にやって来た人間が文句を言う筋合いではない、とする意見が多く聞かれる。
 それはもちろんその通りだが、より根本的な問題は、否定論者が大多数なら検討の余地もあるとしても、なぜ少数者の意見に従わなければならないのか、ということにある。
 世の中には様々な意見があるのだから、どんなことにおいても肯定と否定が見られる。100%の肯定がなければ存続不可、というわけはない。個人の趣味ではなく社会的な慣習や行事などの場合、一部の人間ではなく、そこに参加する多くの人の意見が優先されるのは当然であろう。苦情を言う少数派の意見を優先させるのはまったく合理的ではなく、例外的な意見に従うのは多数派の人間の軽視にほかならない。
 野良猫に餌を与えることについて、猫嫌いの人の意見を優先させ、猫好きの意見を封じてしまう風潮の奇妙さについて以前にここに書いたことがある。好きと嫌いという意見のうち、なぜか嫌いという表明ばかりが取り上げられ、それに従わざるを得なくなるというのはおかしいことだろう。そもそも猫は室内飼いが原則という生き物ではなかった筈だ。
 少数者の意見を切り捨てることなく大事にするべきだ、という態度は正しい。しかしこれは、少数者の意見こそが正しい、少数者の意見に従うべき、ではない。こんな単純なことを混同してしまうというのは、ここのところのマスコミが政権批判等に関して意図的に行っている誤誘導が原因だろうと思われる。

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文化とグローバル化 [社会]

 昭和が終わる前後の頃もそうだったが、平成が間もなく終わることが決定した今、また元号の制定の是非が問われるようになっている。というより、元号を廃止する方がいいのではないかという主張が挙がるようになっているということだ。
 廃止を主張する意見によく見られるのは、現在のグローバル化した社会において元号の使用は無意味かつ時代遅れであり、また西暦との併用は面倒だというものである。
 グローバル化への対応の変化はさまざまな分野で行われ、検討されていることではあろう。しかし問題は、文化や伝統よりもグローバル化を優先させるべきものなのかという点にある。元号の使用が日本経済を中心とした諸々の活動に大きな支障を来たし、廃止によってそれが改善されるという状況ならわからなくもないが、そんなことはない筈だ。西暦との併用程度の単純なことを面倒だと感じている人たちは、より複雑な社会生活をどのような意識で日々生きているというのだろう。
 もし多少の弊害があるとして、それを根拠に廃止を主張するなら、そのような主張には伝統文化の軽視が背景となっていると考えざるをえない。廃止したところで我々の生活には何ら困ることはない、と考える人には、世の中のたいていのことは自分とは関わりの無いものだが、だからといって無くなって良いものではない、ということを考えて貰いたい。とりわけ伝統というものは、今現在の価値観のみで軽々しく判断できるものではないのである。
 社会は内と外のバランスで成り立っている。グローバル化という外からの要因のみで内の伝統が蔑ろにされては、肉体だけ頑強で精神が空っぽという情けない姿となるだけで、しかもすでに戦後の日本がそのような状況にあることは喚起されてきている。
 ちなみに自分は、女系天皇は伝統にないからこの先も存在してはならないが、女性天皇は十代八人が過去に存在しているから、現在の皇室典範は改正すべきと考える。女性天皇を否定する規則は過去の女性天皇に対する侮辱である。しかし、世の中には男女平等の理念を根拠に女性天皇を認めよと主張する者がいるわけで、このような理屈はまったくのお門違い、というよりむしろ皇室否定の危険性を孕んでいるとも言っていい。内には内の理屈があることを、日本人はもう少し自覚するべきだろう。

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フェイクのフェイク [社会]

 なぜか、ネットでもあまり大きく取り上げられなかったような気がすることについて、今さら感もあるのだが覚え書きとしての意味も込めて書いておく。
 ここ数年何かと話題となる流行語大賞の件である。今年の流行語のひとつに選ばれた「フェイクニュース」について、発表会場における説明では、「インターネット上でフェイクニュースが蔓延している」といい、そして「自分に都合の悪い情報をフェイクと決めつける新しい使い方をアメリカ大統領が実践した」とも言っている。つまりフェイクニュースはネット上の問題で、なおかつテレビ新聞等のマスコミに対してのフェイクだという批判には正当性がないように解説しているわけである。
 これは流行語大賞のサイトにおける説明でも同様で、「ネット上でいかにもニュース然として流布される嘘やでっち上げ」と、ネット限定の現象であるかのように書かれている。
 テレビ新聞等のマスコミにおいて出鱈目および偏向した報道が数多くなされていることは、もはや改めて指摘するまでもないほど、うんざりするほどの事例があり、しかもますますエスカレートしているようにさえ思われる。流行語大賞は毎年マスコミで大きく取り上げられる風物詩となっているため、そんなマスコミと一体化した組織がマスコミを批判しないよう忖度し、偏った解説を垂れ流しているのだろうが、問題は、その流行語大賞を選定しているのが自由国民社やユーキャンという出版や教育に関わっている組織ということにもある。
 マスコミ人に知性を要求するのは、もはや無理と諦めるしかない。しかし出版や教育の主体となる知識人に公正な認識力や倫理観がなくては致命的だろう。もちろん大学教授の肩書きを持っていても異様に偏った思想や世界観を持つ研究者はいたりするが、単純な言葉の定義の段階で狂っていては、もう本当に致命的と言わざるを得ない。
 世にいう知識人やマスコミ人たちの中に、戦前戦時中の政府による言論統制を批判的に見ない人はおそらくほとんどいないだろう。今や自分たちがそのおぞましい言論統制をしていることに気づいている人は、果たしてどれくらいいるのだろうか。

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力士と異文化 [社会]

 数年前、取組に物言いが付いたことに対し、自分が勝っていたのは「子供でもわかること」だと言い放って審判部を侮辱して以来、白鵬を横綱としては軽蔑している。相撲取りとしては強いから、その点には敬意をはらうとしても、横綱としては軽蔑する。
 まあ、自信があってこその怒りにまかせて口が滑ったのだろうが、横綱という立場なのだからそんな斟酌をする必要はない。ましてや人種や文化の違いなどを斟酌する必要もなく、あくまでも横綱としては失格という判断を下さざるを得ないのである。しかもそれについての謝罪もテレビのバラエティ番組において行うという、ちょっと異常な行動で、そんな反省の言葉を信じるのは無理だろう。
 だから今回、また白鵬が自身の取組について問題を起こしたことには、まったく驚かない。横綱失格の人物が横綱失格の行動を取ったというだけで、やっぱりそういうことだよなと再認識しただけだ。
 ただ、より責められるべきは、そんな似非横綱に強く出ることのできない相撲協会の方である。数年前のあのときに注意と、お騒がせして申し訳ないといった感じの曖昧な謝罪めいたものだけで済ませているから、本人の中身は何にも変わっていない。日馬富士の問題にしても無能無策ぶりが目立つ。
 今の世の中、土俵の上では国籍も人種もないと考えるべきなのだろう。しかし土俵を降りたところに外国人同士の派閥を形成し、その中で陰湿な事件を起こしてしまうのでは、結局、国籍も人種もあることをモンゴル人力士らが示している。白鵬は人種差別を受けているといった思いを持っているそうだが、自分の判断に異を唱える日本人の心情に差別を感じているのなら、もはや何をか言わんやである。
 子供でもわかる発言はとんでもない暴言と思ったが、世間的にはあまり白鵬に対するバッシング等はなかったように記憶している。テレビ番組内での謝罪だけが浮いていた印象で、少なくとも暴言によって白鵬の人気が急落したようにも見えない。今回も、日馬富士というより貴乃花親方の話題に掻き消され、注意と反省の弁のみで忘れ去られるのだろう。世間やマスコミは相手が外国出身ということを斟酌しているのだと思われるのだが、これら一連の問題は相撲協会の体質だけでなく、異人種、異文化の存在に抜き差しならず内包されるやっかいな問題なのである。

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容疑者ドラえもん [社会]

スネ夫「僕の高級どら焼きを食べたのはドラえもんに違いない」
のび太「ドラえもんはそんなことしないよ」
ジャイ「いや、ドラえもんならやりかねないぞ」
のび太「馬鹿なこと言わないでよ」
スネ夫「じゃあ、やってないという証拠を見せろよ!」
ジャイ「そうだそうだ、見せて見ろ!」
のび太「そんな無茶な…」

 注意深く観ていたわけではないので正確ではなく、最後まで観てもいないので結局はドラえもんが犯人だったのかもしれないが、こんな場面をたまたま目にした。
 こんなアニメみたいな追求を現実に、恥じるとか後悔することもなく延々と何ヶ月も継続して、しかもまだ続けていくと表明している野党政治家とかマスコミ関係者とか自称知識人とかがいるらしい。
 税金や公共の電波や媒体などを使っての身を削ったギャグのつもりでもなく、いたって本気らしいのだが、自分たちがマンガ的な言動を演じていることには気づいていないのだろう。たぶん。
 こういうときにいつも思い起こすのは、水商売の人間は宗教と政治と野球の話題を客とするのを避ける、ということだ。自分の信じているものや好きなものに対して、人は客観的でいられないのである。お酒の場では羽目を外して口論になったりしてしまうからタブーとされるのだが、彼らはそんな特殊な席に常在しているわけではなく、特にマスコミ関係者は自身の好みや思想に関わらず客観性を保持して発言しなければならないにもかかわらず、未来の便利な道具がないのをよいことに子供向けのアニメのキャラと変わらないような理不尽で非理性的な発言ばかり垂れ流されるという、馬鹿らしさ。

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同性愛差別 [社会]

 某芸人のホモキャラ問題はすぐに鎮静化するような下らない話かと思ったら、まだぐだぐだと謝罪やら話し合いやらが続いているらしいので、これに関連した、どうしても以前から解せないと感じていることなどについて書いておく。
 あのキャラは差別的だとは思っていないが、それとは別に、性的マイナリティへの差別をなくすことは良いことだろう。しかし、肝心の同性愛者たちにも問題があることは否定できないのではないか。
 というのは、男の同性愛者が好みの人物の体をべたべたと触ったり、無理矢理にキスをしたりすることはあまり珍しくないことだからだ。私自身も高校生の時に軽く品定めらしきことをされたことがある。人気の無い場所で上級生からしばらく腕や肩や胸元を撫でられ、その間に上級生の男はうれしそうな顔をしていたが、結局はお気に召さなかったらしく大事になる前に解放された。この程度のことで済むなら何でもない話だとはいえ、もう少し不快な目に合わされても、たいていは我慢せざるを得ない。
 しかし男が女性にそういう行為を働けば普通にセクハラであり性的犯罪なのだから、上記のような場合の性的嗜好は男女間の関係とは異なる関係におけるそれであって、決して「普通」ではないのである。
 そしてまた、そのような行為を悪びれることなく行っている同性愛者は、もちろん全員がそうだとはいわないが、自身の立場や性癖に甘えているに過ぎない。その甘えは、世間体を考えて警察沙汰にすることはないと高をくくって女性に手を出す性犯罪者と、何ら変わりないものだ。
 過去に少年をレイプしていたという某若手元俳優がひところ話題になっていた。しかしこれが少女を、という話だったら、もっと非難囂々だったろうし、それ以前に発覚した時点で通報されている。
 また同性愛者の芸能人が、他人に対してハゲとかブスとかデブとか罵っている光景はテレビでいくらでも目にする。それは良くて、同性愛者を罵っているわけでもなくキャラを演じるだけのことを駄目だと糾弾するというのは、まったく理に合わない。
 今回の騒動は、差別どころか物真似すら許されないアンタッチャブルな存在に同性愛者を位置づけることになるわけで、それこそ忌まわしき差別に他ならないのではなかろうか。

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