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隠れ基督教徒 [宗教]

 迫害に遭っても隠れキリシタンが自分たちの信仰を捨てず、守り通したことは美談のように語られるが、神社や観音像を隠れ蓑に使うことは、神道や仏教に対する冒涜に他ならない。実際に迫害されていた時代ならともかく、その心配の無い現代において、まだ幾分かはそのような信仰の在り方にこだわるのはあまり誉められたものではなかろう。
 この世から差別がなくならないのは、差別する側ばかりの問題ではない。

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ムシの夏 [雑感]

 数年前の夏、死番虫という体長数ミリの虫が部屋に大発生し、ガムテープによる捕獲に追われていたことがあった。大発生とは言っても一度に現れるのではなく、毎日毎日どこからともなく現れるので、すぐに元を断って殲滅させることもできず難儀した。古い木造アパートだから、部屋というより建物内部のどこかで繁殖していたのだろう。
 ある夏にはカナブンが発生したことがある。ゴミ袋の中でがさごそしているからGかと思い、恐る恐る確認したらカナブンで、どこから入ってきたのかと不思議に思った。すると、いつも閉めたままの天袋の中からもカリカリと音がし、やはり慎重に確認したら生きているカナブンが二匹、死骸で一匹がいた。これも外から入り込む筈はないので、建物の中で成長したのだろう。
 これらの虫は甲虫であり、またGのように素早くはないから捕獲は簡単だった。
 この夏、部屋もしくは建物の中において、紙魚が大発生中らしい。
 死番虫と同じでたまに見かける虫だが、ここのところ頻繁に現れている。体長十ミリほどで銀色のエビのような、あるいは小さく細いフナムシといった感じか。やっかいなのは、とても素早い上に、柔らかいのである。死番虫のときのようにガムテで捕獲しようにもあまりくっつかず、力を入れると潰れてしまう。畳の上を走っている紙魚をうまくティッシュか何かで押さえたとしても、潰れ出た体液で畳に染みを作ってしまうことがあるのだ。
 こういう小さな虫の相手には、以前は小型のパーツクリーナーを用いていた。しかし使い果たし、もはや同じ大きさのものは売っておらず、大きい缶だと勢いが強すぎて虫を吹き飛ばしてしまう。そこで次に使えそうだと常に手元に置いているのは、アルコール除菌のスプレーである。これは先日、飛んでいる蚊にかけるとすぐに落下し、即死はしないが退治に使えた。おそらく紙魚にも有効だと思われるが、広い範囲に吹き出てしまうため本やプリントなどの紙が濡れてしまうような場所では躊躇われ、今のところ試す機会はまだない。そして小型のGにも有効だろうが、こちらに関しては試すことのないまま、この蒸し暑い夏が終わってくれることを強く期待している。

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子供思いの父親 [雑感]

 文部科学省の局長が東京医科大学に便宜を図り、見返りとして自分の子供を合格させて貰ったのではないかという事件。
 この容疑者が、大学に便宜を図ったのは安倍政権のためになると思ったから、と何かこじつけて弁明でもしようものなら、きっとマスコミと野党が擁護してくれる。元凶は安倍で、この局長は被害者であり、子供思いの立派な父親だと讃えてくれることだろう。
 そんな妄想があながち荒唐無稽とも思えない昨今である。

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死刑と人権 [社会]

 犯人に対して拘束ではなく、射殺という手段を安易に取るような国が多い中で、死刑制度は人権軽視だから止めろと外国から日本に文句が向けられる。
 裁判を受ける機会すら与えずに殺す方が相当の人権軽視だと思うのだが。平等とか平和とか愛とかと同じく、人権の尊重という言葉や概念ばかりが、この不釣り合いな世の中で錦の御旗のようにはためいているだけである。
 殺人という最大の人権侵害に対する罰として、充分に検証した上で犯人の人権を剥奪する。人権対人権の問題であって、第三者である裁く側や刑を執行する側の人権意識の問題ではない。
 もちろん他にも様々な視点や意見はあり、こんな短い文言で語り尽くせるものではないが、死刑制度の賛否にはどちらにも合理性が認められるゆえに積極的な賛成も反対もし得ない中で、基本的にはなんとなくこんな思いを持っている。

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歌丸と中国 [社会]

 歌丸師匠の死去に伴って、日本共産党が、
『桂歌丸さんは訴えていた、戦争の愚かさを。「あんなものは愚の骨頂です」』
 というツイートをし、故人を政治利用するなと批判されている。
 これを読んで真っ先に思い起こしたのは、北京五輪が開催される数年前のことだ。
 反日デモが中国で盛んになり、暴力的な騒ぎが頻繁に起こっていたことについて、歌丸師匠は笑点の冒頭で次のような主旨のことを話している。
『公使の車を破壊して誰も逮捕されない、こんな訳の分からないことはありません。あの国にオリンピックをやる資格があるんでしょうか?』
 日本共産党はこの発言を聞いて、どう思ったのだろう。それとも、もう忘れてしまったのか。

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夏越大祓の変 [雑感]

 六月三十日、夏越の大祓ということで、毎年恒例の某神社に向かう。
 以前にも書いたが、なぜかこの参拝に際して「変な人」と遭遇することが多い。
 今年は境内にて遭遇した。
 境内で行われている大祓の儀を参観しているとき、背後から妙な声が聞こえてきた。東南アジア系の外国人が無遠慮に会話しているのかと最初は思ったが、発言者は一人で、言葉というよりは赤ん坊の喃語に近い。しかしその喃語っぽい発声の中に時折、「おい」「なんだ」「まて」といった文句がましい日本語の単語も混じっているように聞こえる。そんな言葉をひとり発し続ける男が自分の右横に来た。
 儀式に集中したいのに参ったなあと思っていたら、自分の左横にいた人が、うるさいよ!と注意した。ああ、頭のおかしな人にそんなことを言ってもしょうが無いのに、逆ギレでもしたら俺が何かされるかもしれないのに、と少し緊張したが、叱られた右横の男は静かになった。
 注意を理解し、従うことができる精神があるということと、ひとり異常な発言を続けていたこととの関係を不思議に思いつつ、ほっとして儀式を眺めていられたが、やがてまたその男は少しずつ言葉を発し始めた。しかし儀式は無事に終わり、神職たちは終了の奉告のため拝殿へと入っていく。
 その様子を眺めているとき、すでに先ほどと同じように異様な発言を続けるようになった男を正面に目にした。五十過ぎの哀しげな顔をし、手には授与品と思しき袋をさげている。まさかこんな発言をしつつ御祈祷を受けてきたのか、と驚いた。拝殿前にいる男のそのときの言葉には、「しね」「ころす」といった物騒な言葉も混じっており、周囲の参拝者たちも、ぎょっとして身を引いている。
 しかし、そんな言葉とは裏腹に、儀式の終了と共に男は何事もないように境内を後にする。言葉だけが異常で、行動には何も問題はないのである。神社に参拝し注意に素直に従う精神と、罵倒の文句を吐き続けさせようとする悪しき精神とのせめぎ合いに生きている、哀れな人なのだろうか。

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続失点承知で [政治]

 前回の記事、なんとなく収まりがついたのでそのままあげてしまったが、本当はもう少し書くことがあった。それは、小西議員のあの記事に見られるような頭の悪い反安倍記事が拡散されることは、今さら感のある指摘ではあるが逆効果でしかないということだ。具体性もなければ論理の整合性もない、ただ単に感情的な反撥はいわゆるヘイトスピーチに過ぎないもので、本当にそれで良いのか?と他人事ながら心配(というより嫌悪感の方が強いが)になってしまうのである。
 もはや、ひょっとしたら小西議員は本当は安倍政権の熱烈な信奉者で、反安倍政権の立場の人間がいかに馬鹿なのかということを世間に知らしめるために、敢えて愚者を演じているのではないか、という疑いを拭いきれない自分がいる。そんな思いで例のつぶやきを読み直すと、「我が身を捨てた執念の行為」もまた別の意味に取れてしまうが、ま、そんなことはないのだろうな。
 さて、話は変わって、普段はサッカーにまったく興味のない自分が改めて観戦してみると、やっぱり面白味はなくもないが、不快感を抑えることもできない。目に余る反則行為だけが反則と見なされ、たいていの軽い反則行為は容認される。当たり屋のように軽い接触でも大袈裟に転んで痛がり、有利な判定を得ようと画策する。そんなスポーツマンシップに反するような行為がまかり通っているようなスポーツは、観ていてあまり気持ちの良いものではない。
 同様の行為が国会でもしばしば見られることの腹立たしさは、言うに及ばず。

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失点承知で [政治]

 意味不明な発言を連発することで知られる議員の小西ひろゆきが、また奇妙なつぶやきを発信して話題になっている。全文を引用すると、「W杯。主審の目の前でハンド反則でシュートを止めたコロンビア選手。チームを救うための究極の行為は一発レッドカード。反則は絶対悪、退場も最悪ミスだが、我が身を捨てた執念の行為に、あの瞬間に何もせず、失点承知でシュートを見送るだけの国会議員が何人いるだろうかと考えた。安倍政治は罪深い。」となる。
 最後の一文だけを言いたくて、しかし上手く繋げられずに失笑やら嘲笑やらを誘うことになっているのだが、安倍政治云々はともかくとしても、やっぱり意味不明だ。
 あの選手のあの行為はチームを窮地に陥らせるだけだから「チームを救うための究極の行為」ではないのだが、それを「我が身を捨てた執念の行為」とも言うからには、前半部ではあの行為を称えているように読める。しかし後半の「失点承知でシュートを見送るだけの国会議員が何人いるだろうか」という文のニュアンスからは、「だけ」は否定的とはいえ、そのような望ましい国会議員は果たしてどれだけいるのかと嘆いているようにも読めてしまう。本当は失点を承知した方が後々のためになることだからだ。まあおそらくは、〈あの瞬間に退場を承知でシュートを止める国会議員が何人いるだろうか〉と言いたかったのだと思われるが、いろいろと狂ってしまっているのだろう。
 本当に狂っているのは、サッカーではなく現実の政治に置き換えるなら、「我が身を捨てた執念の行為」は民主主義に対する反則行為、すなわちテロリズム等を称えているように読めることである。文章そのものが狂っているから、はっきりとそうだと非難しにくいことは、小西議員にとって多少は救われるところかもしれないが。

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存在の意義と価値 [政治]

 以前、「安倍総理叩きとUFO論争」というタイトルで記事を書いた。
 UFO論争というのは某番組で某科学ジャーナリストが指摘していた、次のような点である。
 UFOが存在しないという悪魔の証明を明示させることは難しく、目撃例を後から検証しても確実な証明は難しいため、存在を信じているUFO信者たちを納得させることはできないこと。そして信者たちも存在の証拠は持っていないが、国や軍は持っているはずだから出せと要求し、そんな自分たちの望む答が得られないためにいつまでも国を疑い続け、さらには物証を捏造してでもUFOの存在と国による隠蔽が主張され、それが都市伝説のように増殖していること。
 以上のような身勝手なUFO信者たちと国との構図が、そのまま現今の野党マスコミ連合と安倍総理との関係と同じであることを指摘した記事である(ちなみに、個人的にはUFOという現象に何か未知の背景がある可能性は否定できないと思っている)。
 ふと気になって確認し、驚いた。上記の記事を書いたのは昨年の七月末だ。
 自分たちの望む答が得られないゆえに「疑惑は払拭されていない」といつまでも駄々を捏ねる野党の姿勢にうんざりして、まるで上記の科学ジャーナリストが指摘するUFO信者みたいだなと思って記事を書いたときから、そろそろ一年が経とうとしている。先日は野党有利だった新潟県知事選で与党側候補が勝利しているから、野党側のわけのわからなさも一般に浸透しつつあるのだろうが、それでも今のところ野党側に一連の自分たちの姿勢に対する反省などは見られない。
 上記の番組では、ロズウェル事件についての徹底した調査が米軍によって1997年に行われたときの、あるUFO研究家の言葉を紹介している。「もし我々からロズウェル事件がなくなってしまったら、我々はまた空の彼方に見える奇妙な光点を追い求めるだけの存在となってしまう」。
 疑惑が存在しなくなったら、それを追及している自分たちの存在意義も失ってしまうのである。哀れと言えば哀れだが、しかしそんなことで国政を掻き乱されては、たまったものではない。
 
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墓穴を掘る [雑感]

 今から五年前の八月に迷惑な勧誘電話についての記事を書いた。それを次に再掲してみる。

 一昨年の夏、(略)電話による墓地セールスが、断っているにもかかわらず何度もかかってきて、「これ以上しつこいと訴えるぞ」とまで声を荒らげたことをここに書いた。同じ会社からの電話がまた来た。もう我慢ならないのではっきり書く。「いしのや」という名の会社だ。拒否しているのにそれを無視して電話をかけてくるのは、もはや犯罪的である。自宅を仕事場としている自分にとっては、営業妨害にも等しい。相手に文句を言ったところ、「もうそちらの番号にはかけないようにします」と謝ったが、その台詞は前回も聞いた。つまり言葉だけであって、そんな措置は少なくとも前回はしていなかったということだ。

 墓地セールスと書いているが、墓石販売がより正確かもしれない。五年前より以前から何度もかかってきているわけで、同じ会社に対して電話越しにブチ切れたのは少なくとも二回である。ただ、そちらにはもうかけない、という二回目の言によって本当に対処を施したのか、以降はかかってくることはなかった。
 しかし、五年間の空白期間を経て、三回目のブチ切れを体験することになる。
 先日の午前十時頃、電話が鳴った。田舎の老父母に関することかと覚悟を固めつつ受話器を取ると、五年ぶりの「いしのや」だった。
 今まで何回かけてきていると思ってるのかとやや抑え気味に詰ると、相手は平然と「私は初めてかけております」という。対個人ではなく対会社で話していることにも関わらず、何という言いぐさかと頭に来て、あんたじゃなくてあんたの会社からということだよ、何度も何度も迷惑なんだ、いい加減にしろと声を荒らげてしまう。相手は謝罪の言葉を口にするが、とくに恐縮するでもなく淡々とした口調であるために、受話器を叩きつけた後も怒りは収まらない。
 七年前および五年前の言葉が嘘だったことは判明している。おそらく単に番号順にかけているので、データから除外するといった作業はできないのだろう。しばらくすればまた、何も知らないバイトの女性が何食わぬ口調でかけてくるかと思われる。
 商売をする上で逆効果、自ら墓穴を掘っていることに気づかないのだろうか。それとも、会社が存続しているからにはこれでも効果を発揮しているのか、謎である。

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