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烏合第一の会 [政治]

 民進党を離党したばかりの某都議が、やはり小池都知事のなんとかの会からの推薦を受けていた。また同じ選挙区からは、某市議がなんとかの会から公認で都議選に出馬するらしい。どちらも個人的には決して票を投じようとは思わない人種だ。さすがに共産党議員には公認も推薦も与えていないが、やっぱり都知事側につくのはこの手の人たちということが明確になった。
 明確になったのは良いことだが、単なる反自民だけで乗っかるというのは、どちらにとっても品の良いものではないことであろう。
 これまで投票しなかった人物に、小池都知事の会派に付いたからという理由で票を投じる人というのは、いるのだろうけれども、どれほどの数になるのだろうか。

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駄目な生き方 [雑感]

 若い頃は立身出世とか、裕福な暮らしがしたいといった願望があまりなかった。そういったことを望むのは下品で浅ましいことだとする意識を強く持っていたからだ。その感覚が甚だしくなった挙げ句、自分の将来の姿を肯定的にホームレスと見定めていたりした。
 人は物欲なんてものに振り回されず、精神的な何かを追い求めるべきである。そんな人生観を心の内では崇高で格好いいもののように感じていた。
 だが、そんな人生観は間違いだ。
 人生をどのように生きるかについて良し悪しなどない、他人からどう判断されようとも犯罪性や反社会性に傾斜しない限り、どのような生き方でもいいのだと考えるのが基本的なスタンスなのだが、最近は上記のような生き方を間違いだとすべきではないかと思う。
 一生困ることのないほどの財産を引き継いでいるという人なら、それでいいかもしれない。あるいは財産がなくとも、若い頃ならまたそれでいいかもしれない。どんな考えを持っていようと、ある程度は親と社会に庇護されている。揺り籠の中で勝手な妄想に浸ることができる。
 しかし、本当に精神が破綻して、垢と糞尿に塗れた姿で路上に生活することに何の抵抗もなくなってしまえば、もはや問題はないが、そうでなければ、こんな生き方では歳を取るにつれて最低限の生活を維持することすらできなくなってしまう。よほど要領よくやらないと、バイトは体力があって顎で使える若い奴が求められやすいからだ。
 しかも加えて自分の場合、裕福になりたい意識を下品と感じるだけでなく、妙にプライドが高いところもあるため、理不尽な指示でも我慢して仕事にしがみつくということができない。この二つが相まって、人は金のみに生きるにあらず、という態度についついなってしまう。さらにまた、大学院なんてところを出ているため、すでに二十代後半から、院卒の人は使いにくいからという理由でバイトを断られたりしている。
 大学院に行きながら研究者としての仕事を得られなかったのも、業績を積み上げることに必死になったり、有力な教授に媚びへつらったりすることを下品と感じていたのが理由のひとつだ(才能がないだけでなく、別の理由もあるが、人物特定されてしまうからそれは書かない)。
 得体の知れない何か精神的なものを追い求め、経済的な面を蔑ろにして自身と周囲の人たちを不幸にしてしまうよりも、金や地位を獲得する生き方のほうが良いと今では思う。溜め込むことだけに執着してしまっては意味がないが、そこまで病的でなければ、財産を使って解決できることは少なからず周囲にある。知識や技術を身に付ける、病気になったときに治療をする、年老いた親の面倒を見る、などなど、精神的なもののみに関心があった人間には難しいことばかりだ。
 この地上で生きていくための最低限の覚悟と作法を無視した報いといえよう。

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テレビのお約束 [雑感]

 少し前のことだが、ある番組で正しい日本語の表現について取り上げられ、「役不足」とか「確信犯」とかの正しい意味を解説していた。今さらながらだと感じていたのだが、街頭での調査では多くの人が間違えた解答をしていた。もちろん番組作りのために間違えた人の映像を選んで流しているとしても、かつての正しい日本語ブームはいったい何だったのかと呆れた。
 そんな中、「号泣」の意味は「歯を食いしばって泣く」ではなく、「大声を上げて泣く」という意味だといった説明もあった。
 そのコーナーが終わってCMに入った。番宣だったのだが、画面はあるタレントか涙を流し、その涙を手で押さえているというもので、テロップには「○○○○○が大号泣」とある。
 号泣どころか、さらに大がついての大号泣だから、それはもう狂ったように泣き叫んでいる筈なのだが、少なくとも紹介されている画面でのタレントは口は閉じたまま、一筋の涙がすっと流れているだけであった。
 いくら日本語の正しい意味はこうですよと言っても、他の場面で間違った表現を平気で使っていては駄目だろう。こういう批判をすれば、大袈裟にするのがテレビのお約束、などと反論されるかもしれない。しかしそんなお約束など勝手なご都合主義であり、そんなメディアに対しては、もはや信頼性を持つことは到底できないのである。

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名簿業者へ [雑感]

 人の精神状態は常に一定というわけではない。当然のことだ。したがって、いつもは気にしないことであっても、時として不意に衝撃を受けてしまうこともある。

 名簿業者も名簿を購入して商売に用いる会社も、真っ当な業務だとはまったく思わないが、それらの業務の存在を多少は受け入れてもいいから、ひとつだけ配慮して貰いたいことがある。
 名簿には名前と電話番号の他に、独身か既婚かという項目を添えて欲しい。
 至極当然のように、「奥様はご在宅でしょうか?」と問われても、こちらの状況をいちいち説明する義務はないから黙って切るか、乱暴に叩き切るしかない。場合によってはこちらの名と番号をどうやって入手したのかとねちねち聞いた挙げ句にその無礼さを詰ることもあるが、そんな余裕と元気があるときばかりではない。たいていは黙って叩き切る。
 そして、ごく稀に、どうしようもない悲哀に襲われる。これは暴力だ。
 まったく見ず知らずの赤の他人から唐突に差し向けられる暴力である。
 妻はまだ霊安室から戻っていません、とか、昨年実家に帰ったきり戻ってきませんのでそちらの番号をお教えしましょうか、などと言って相手がとう反応するか楽しむ余裕があればいいのだが、もちろんないから腹立たしさと悲哀を抱えるしかない。
 だからせめて、独身用と既婚用の名簿に分けて、それに応じた会社に売るとか、そういった配慮をしてくれることを切に望む。

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180万年前の日本 [宗教]

 シュメール王名表なるものに、古代メソポタミアの伝説的な王の名と在位期間が記されている。人類最初の王とされるエリドゥ王アルリムから以下の数代を、ウィキペディアから引いてみると、
 エリドゥ王アルリム、在位28800年間。
 エリドゥ王アラルガル、在位36000年間。
 バド・ティビラ王エンメンルアンナ、在位43200年間。
 バド・ティビラ王エンメンガルアンナ、在位28800年間。
などとあって、一人の王でとてつもない期間を統治していたことになっている。もちろんこれらの年代についてはあくまでも伝説としか捉えようがないものなのだが、似たような記録はこの日本にも残されている。超歴史の文献としてよく引き合いに出される「竹内文書」などという怪しげなものではなく、日本最初の公式な正史、『日本書紀』のことだ。
 神武天皇の即位前紀に、天皇が「天祖の降跡りましてより以逮、今に一百七十九萬二千四百七十餘歳」と語る場面があって、つまり瓊瓊杵尊が地上に降臨したのは今から1792470年ほど前のことだ、というのである。
 この年数が何を意味しているのかはよくわかっていない。本来は『日本書紀』にこのような記述はなかったものを、いつしか誰かの書き込みが反映されて本文のように書き写されてしまったのだともいわれるが、本当のところはわからない。
 そして、この百七十九万年という途轍もない年代は、鎌倉時代に編纂されたと推定される伊勢神宮外宮の文献に、更に具体的に記述されることになる。すなわち『倭姫命世記』によれば、
 瓊瓊杵尊、318543年間。
 火火出見尊、637892年間。
 鵜草葺不合尊、836042年間。
といった治世期間が主張されているのである。
 これは『日本書紀』の百七十九万年余という年数を三代に振り分けたのだと思われるが、それぞれの数字に意味があるのかどうかも、やはり不明である。
 現在に直接つながる古代世界のはじまりを太古の昔に想定するのは、神や英雄の神秘性を深め称える心理として地域に関わらず共通しているのかもしれない。それにしても、アフリカを出て各地に広がっていったホモ・エレクトスという最初の原人の出現が百八十万年ほど前であり、その数字と天孫降臨の時期が一致するのは、面白い偶然といえよう。

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サ入れとラ抜きと外人 [国語]

 某若手アナウンサーが、祝電を「読まさせて」もらいます、と言っていた。
 歌わさせて頂きます、とか、次に行かさせて貰います、という誤った表現は毎日のように垂れ流されている。学のないタレントならともかく、正確な日本語を操らなければならないアナウンサーとしては、まったく情けない話だろう。もちろん、読ませて、歌わせて、行かせて、であり、サ入れ表現に気をつけるべきことはアナウンサーとして基本中の基本だろうからだ。
 定着しつつあるようなラ抜き表現でさえ、話者の言葉が画面に打ち出される際には、正しくラが付け加えられている。ラ抜き表現を容認する意見が多くとも、少なくとも今のところはメディアにおいて正しいとはされていない。サ入れもラ抜きもアナウンサーなら使うべきではない。
 なお以前にも書いたことだが、話者が外人という言葉を使ったとき、テロップでは必ず外国人と訂正されている。メディアは外人の語を使いたくないらしい。おそらくこの言葉を差別語のように認識しているからだろうが、そのような認識は間違いである。外人は外国人からの単なる略語で、外国為替を外為というようなものだ。個人的には、日本人は外国人を害人と言って差別しているのだという悪評を触れ回った勢力があったのだろうと思っている。

タグ:外人
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エビスとヱビス [国語]

 ビールの銘柄でも知られる「エビス」は、戎・夷・蛭子・恵比須・恵比寿、などと様々に表記される。理由を「ヒルのコ」と書く蛭子についてだけ説明すると、日本神話に登場する「ヒルコ」が後の世に漁業神のエビスと同一視されたため、蛭子と書いてエビスと読むようになったからである。
 さて、ビールのエビスは、正しくは「ヱビス」と書く。横文字も EBISU ではなく、YEBISU である。そして漢字表記では恵比寿で、これに由来した渋谷区の地名も恵比寿となっている。
 ところが、厳密に言うなら、ヱビス・YEBISU・恵比寿といった表記は間違っている。なぜなら本来のエビスの「エ」は、まさにエであって、ヱではないからだ。そして「恵」は本来的に「ゑ・ヱ」と読む漢字だから、この恵をエビスという言葉に充てるのは間違いなのである。
 とはいっても、江戸時代には「え」と「ゑ」の区別はいい加減になっており、ゆえに恵比寿という表記も生まれているため、それを今さら間違いと判断することはない。
 言葉は時代によって変化するものだから、一所懸命が一生懸命と変化したことをもって後者を間違いと決めつける必要はないことと同様に、恵比寿の表記も一方的に間違いとは言えない。しかし言葉の変化に無頓着であってはならず、本来はこうで、それがこのように変化し、今はこうなっている、といった知識をわきまえるのは大事なことだ。そういった知識や歴史を教え、また教わったり自分で調べたりしてわきまえることが、大袈裟に言えば文化の継承と発展の基礎であり、無頓着ゆえの変化は単なる堕落といえるだろう。

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知と誤情報 [雑感]

 以前と比べると、様々なメディアにおいて神社や記紀神話について取り上げられる機会が増えた。いわゆるパワースポットなんやらとか日本アゲとかいう流行に乗ってのことだが、それでも相変わらず、政治家が靖國神社に参拝すると、あたかも問題であるかのようにニュースで報じられるという異様なマスコミの姿勢は変わっていない。
 最近はどうだかはわからないが、酷いときには靖國神社に「神道の作法で参拝した」などと殊更に指摘しながらの報道で、そんな当たり前のことすら問題視されていたほどに異様であった。
 それはともかくとして。神社や記紀神話について一般向けの本や雑誌が溢れている現状にもかかわらず、確かな知識はあまり浸透していないように思われる。
 たとえば「ハルチ・ウムチ・ツヅチ」という呪文がある。体操の具志堅選手が自身の力を発揮できる呪文として恩師から教えて貰った言葉で、これを検索すると、記紀神話の海幸彦山幸彦の説話にも登場するなどと説明している記事が多い。しかしこれは正しくない。
 まず『古事記』で山幸彦が授かった呪文は「オボチ・ススチ・マヂチ・ウルチ」で、これは釣り鉤が本来の力を発揮しないように呪う言葉である。そして『日本書紀』では、本文で「マヂチ」、第一の一書で「マヂノモト・ウヱノハジメ・クルシミノモト」、第二の一書で「マヂチ・ホロビチ・オトロヘチ」、第三の一書で「オホヂ・ススノミヂ・マヂチ・ウルケヂ」、第四の一書で「マヂチ・ササマヂチ」とあり、やはりいずれも釣り鉤を駄目にしてしまう呪言だ。言葉が異なるだけでなく、働きそのものがまったく逆なのである。
 具志堅選手が教わったのは、細かな説明は省略するとして、大本教系の呪言らしい。記紀の呪文で多用される「チ」の語は具体的には釣り鉤を意味するが、広い意味では「力」や「霊力」を表し、おそらくは「気」にも通じる語だろう。大本系の呪言ではそのチが満ち溢れるように期待するものとなっているかと思われる。
 一般向けの記紀関連の本はたくさん出ているし、ネットでも確認することは可能なのだから、うろ覚えで説明する前に少し調べてみないとチの持ち腐れである。 

タグ:呪文
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保守議員の離党 [政治]

 長島昭久議員が民進党を離党したときの声明文に対し、評価する声が多いようだが、民進党を見限ったという点のみは評価できるとしても、あんな民進党にどうして保守を標榜する人間が今まで所属していたのかという疑念はどうしても拭えない。
 声明文の中で長島議員はリベラルの過激で不寛容な点を指摘し、それについては問題ない。しかし保守の劣化で粗雑な例として「籠池さんのように、教育勅語を信奉していれば保守だといわんばかりの粗雑なキャラクターが際立っています」と挙げているが、これは馬鹿げている。
 まず籠池は保守の代表ではないし、そのキャラクターを際立たせたのは他ならぬ民進党をはじめとする野党とマスコミが与党を叩くために殊更取り上げたからである。森友学園は昭和天皇が来園されたと主張していたが事実ではないと判明しており、本当の保守なら皇族を出しにして利用するような不敬なまねはしない。
 しかも土地の整備に関わった建設会社から値引きの額を返金された際、その額を学園側が勝手に寄付の扱いにしているらしいことも報道され、これは総理夫人による寄付とされる問題とも絡んで興味深いことなのだが、これが事実なら単に自分たちの利益のために他者を利用しているだけであって、保守という肩書きで括れる人物でないことは明らかであろう。
 いずれにしても長島議員が本当の保守なら、なぜ今まで民主党民進党に所属していたのかを、より明確に説明する必要がある。犯罪者が罪を反省したとか、転向して思想を改めた、というのならまだ理解できる。人は反省し、変化成長をするものだからだ。しかし長島議員の件の声明文では、どうして保守の人間があの民主党民進党に属していたのかは、まったくわからない。蓮舫が自身を保守だと言って失笑されたこととは違って、長島議員の場合は確かに保守を標榜していいと思えるだけに、やはり民主党民進党に属していたことといかにして折り合いを付けていたのか、そこに合理的な説明がないと、単に沈み行く船から逃げ出したとしか見えないのである。

タグ:保守
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大作家 [雑感]

 ある雑誌をぼんやりと眺めていたら、漢字四文字で二番目が井の字となる人名を見て、ふと某作家のことかと思い、よく見てみた。しかし違った。筒井康隆の名に見えたのだ。ああ、最近どうしているのだろう、もう齢80を越えているはずだ、元気なんだろうか。
 と、久しぶりに老作家へ思いを馳せながらパソコンを立ち上げてネットを見たら、その筒井康隆が炎上しているというニュースを目にした(笑)。
 惚けたゆえの発言ではなく、作家としてのプロ意識からの発言であることを願いつつ、いずれにしてもお元気そうで何よりと妙に安心した。変な輩に狙われたりしないかとの心配もあるが、本人はもう怖いものなしなんだろうな。

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