So-net無料ブログ作成
検索選択

破滅の予兆 その3 [雑感]

 数年前から日本の神々に関する48枚の某カードを毎日引いている。ただしタロットとは違って死神や塔に相当するものはないので、解説にある内容とは別の解釈をして、泣沢女神のカードを凶の意味合いに捉え直して判断するようにしている。
 1月の20日21日と、続けて泣沢女神がお出ましになった。翌22日は別の神様だったが、その一枚下にはこの女神が見えている。その日の夜、前回の記事には書かなかったが、『瀕死のエッセイスト』を片手に台詞を打ち込んでいたとき、部屋の電灯がチカチカと明滅し、ふっと消えた。もう三年ほど使っている蛍光灯とはいえ、明かりを失ったのはそれが初めてである。
 たいして不吉とも感じずに就寝し、目覚めた朝、もし今日もこの女神が見えたら俺は今年中に死ぬことになる、と思いながら引いてみた。泣沢女神が出た。
 しばらく手にしていなかったタロットを、忌まわしいカードが出たら今年中に死ぬことになると念じながら引いてみた。塔が出た。

 三年前、自分が死ぬ予兆がいくつかあって、そのことを何度かこのブログに書いている。平成26年3月8日には「破滅の予兆 その2」のタイトルで、真冬にドラセナが花をつけようとし、寒さに耐えられず散ってしまったことを書いた。
 実は昨年末から再び蕾が伸びてきている。寒さに弱いドラセナがなぜ真冬に花をつけようとするのかは分からないが、三年前より諸々の状況は一層厳しく、予兆に対する確信は高まるばかりである。

 付記。この記事をメモ帳に書き上げた数日後、叔父が亡くなった。三十年も会ってなく、葬儀にも帰られない。まったく申し訳ないが、親が死んでもすぐに帰ることが出来るかどうかも怪しい状況だ。
 ともあれ一連の予兆が今回のことに関連しているのか、それともまた別の事態に関連しているのか、はたまたまったく無関係なのかは、もちろんわからない。

nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

楽しい食事の夢 [雑感]

 以前に書いたことだが、ここ数年来、旅をする夢ばかり見ている。じっとしていてばかりの日常に対しての、無意識からの反撥だろう。
 ところが最近、様相が変わってきた。旅をするのではなく、割合と気分良く人と食事をする夢をここのところ続けて見ている。夢占い的には幸福を暗示するらしい。
 しかし、その占いはおそらく当たらない。幸福の招来を想定できる芽が見当たらないだけでなく、自身の経験からすれば、夢は現実に欠けているものを補って精神の均衡を保とうとする働きが中心としか思えないからである。
 旅が終わって食事も済めば、あとは安らかに眠るだけだろうか。

「また夢を見ました」
「それはそれは壮大なパーティーで」「大勢のキレイな人達がいて」「だけど私ははだしで、みすぼらしく」「すみっこで小さくなっていたんですが」
「そんな私をみんなは愛してくれて愛してくれて…」「本当に心から愛してくれて」
「…これはきっと死ぬ夢ですね」

 このような台詞のある『瀕死のエッセイスト』(しりあがり寿)の漫画が切なく胸に迫る。

nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

ホース紛失事件 [雑感]

 前回書いた「窃盗」事件で思い出したことがひとつある。思い出したとは言っても一昨年のことで、しかも現在進行中である筈のことだ。
 一昨年の夏、風呂釜が故障して使えなくなったので、大家に連絡し、新しいものを入れて貰った。壊れた風呂釜は押して回して点火する式の古いやつで、シャワーも装備されていないから、後付けで簡易シャワーを取り付けていた。これは蛇口から分岐したホースの水が浴槽内の穴の前に設置したタンクを循環し、暖められてシャワーとして出るというものである。このときはタンクは外し、分岐したホースはそのままで浴室の掃除の時などに活用していた。
 東京ガスの新しい風呂釜はシャワー付きだったので、簡易シャワーを使う必要はない。しかし工事が終わって久しぶりにお風呂に入って、何か変だなと思い、少しして気がついた。簡易シャワーのタンクにつなげるホースが見当たらない。
 蛇口から分岐したホースは新しいものに変わり、新しい風呂釜につながっている。だが以前のホースは簡易シャワー専用の金具が付いたものだから、あれがなくては困る。このアパートに死ぬまで住み続けるか、引っ越しした先の風呂にシャワーが付いていれば問題ないけれども、そうでなければ再び簡易シャワーを使用する可能性は高いのである。
 問い合わせようと思った矢先、新たな問題が発生した。設置された風呂釜が実はうちの環境では規格外のものだったと判明し、急遽また別の風呂釜に取り替えることになってしまった。東京ガスからやって来たのは前回とは別の社員で、事情を説明し、前回の工事で持ち去られたホースを探して返してくれるよう頼んだ。もちろんこれは窃盗ではなく、不要品だと勝手に解釈したという不注意だろうが、こちら側からすれば私物が許可無く持ち去られた事件である。
 今度の風呂釜もシャワーは付いているから、当面の問題はない。東京ガスの社員も真面目に対応し、ホースの件だけで何度か足を運んでくれた。あるときメモ書きのある名刺が新聞受けに入っていた。それには「浴室用のホースですが、現在、探し中です。見つかり次第、お届け致します」と書かれている。
 その日付が平成二十七年の九月。以来、何の音沙汰もない。
 もはや現在進行形の事柄ではなくなっているのだろうな。

nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

回収か窃盗か [雑感]

 TVタレントの好感度調査に協力してくれというパンフレットが、玄関ドアの新聞受けに差し込まれた。見てみると、あのビデオリサーチ社からのもので、東京駅から何十㎞か圏内の千数百人(具体的には覚えていない)を無作為に選んで依頼しているとのこと。
 それにしてはパンフレットの宛先にこちらの名はなく、「様」の前に部屋の号数が走り書きされているのみで、在宅中であったにもかかわらずノックもなく黙って差し込んできたものだ。
 翌日に訪問するから、その際に応じてくれるようにとのことだったが、千円の商品券を貰えると言っても時間指定のない来訪を気にしながら待つ義理はなく、そもそもタレントの好感度に興味はないし、よく知らない。よって無視することにして、そのパンフレットを元のように新聞受けに差して放っておいた。
 すると翌日の15時頃だったか、ドアがノックされた。しかしこちらの反応を待つ間もなく、新聞受けをガタガタと何かしていると思ったら、すぐに去って行った。見ると件のパンフレットが消えている。
 さて、回収を予告しているわけでもないものを黙って他人の新聞受けから持ち去るのは、どういうことだろう。
 この場合の所有権が法的にどちらにあるのかは知らないが、窃盗行為ではなかろうか。まあ、こちらも無視を決め込むつもりでいて、事を荒立てるつもりはないからどうでもいいといえばいいけれども。

nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

初詣 [雑感]

 一年以上も放置してしまったのは、忙しくて時間がなかったからではなく、誰も読まなければ原稿料が発生するわけでもないような文章を書く精神的な余裕がなかったからである。今も決して余裕があるわけではないけれども、いつ全てが瓦解するか分からないから、たまには何でもないことでも書くことにしようかと思う。

 今年もいつものように、年が明けてすぐに一人で近くの神社に初詣をした。
 ただ、いつもは孤独を覚えながらも他の見知らぬ人たちとともに参拝していたのだが、今年は少し違った。
 列をなしている参拝者の中で、自分の横と後ろに三人連れの親子がいて、自分より年下らしき父親が横に、後ろにその奥さんと中学生くらいの娘がいる。その体勢で神前まで進んでいく。が、いざ参拝の時となると、やはり親子は三人並んでやりたいわけで、その父親はすっと後ろに下がり、自分一人だけが神前に向かうことになった。
 隣に人がいることを望むわけではなく、むしろ誰もいないほうが好ましい。
 しかし好ましいとはいえ、それは決して満足できる状況ではないことは言うまでもない。
 神札を頂く際にバイトの巫女さんから「明けましておめでとうございま~す」とにこやかに挨拶されたその言葉と笑顔を胸に、今年もいつものように一人、アパートの一室へと足早に帰って行く。

nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

成功者の傲慢 [雑感]

「運命は自分で切り開くもの」、とかいう。
だが、自分で切り開けるものを運命とは言わない。
自力で何ともならないからこそ運命なのである。

「神は乗り越えられない試練を人に与えない」、とかいう。
だが、それが本当なら苦しみの果てに自殺する人はいない。
生まれてすぐに病気で死ぬ赤ん坊は人ではないということか。

結局、これらの言葉は、運良く生き延びた者の言葉である。
生き延びて、苦しかった過去を思う余裕のある者の言葉だ。
生き延びることに失敗した者たちの言葉は、残ることはない。


nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

池上彰が伝えたい日本って [雑感]

 今年の二月に放送された池上彰の番組をようやく観た。たいして知的情報を得られるわけでもなければ面白いわけでもない番組を観る気力は、なかなか湧いて来ず、半年も過ぎてしまったわけだ。
 ではどうしてそんな番組をわざわざ観たのかというと、世間というものに日本文化がどのように伝えられているのか知っておくための、ひとつの作業としてである。
 タイトルは「池上彰が今こそ日本人に伝えたい 実はみんな知らない日本」。以前にも書いたけれど、ずいぶんと思い上がった番組名だ。「日本人」の「みんな」が知らない日本についてのことを教えてくれるというから、どれだけ驚愕すべき隠された事実を語るのかと思いきや、もちろんそんなことはなかった。
 違う意味でもっとも驚愕したのは、次の二点である。

・ナレーション「日本には様々な宗教がありますが、実は仏教以外にも、古くから広まっている宗教がある。それがこちらなのだが。」と言って、「神道」の文字が映される。続いて、この「神道」を何と読みますか、と街頭インタビューし、「しんどう?」「かみどう?」などと答える人たちの姿が流される。

 この番組制作側の人たちにとって、仏教の他に日本に古くから神道という宗教があることは、「実は」と知られていない事実のように紹介されるべきものなのだろうか。そしてまた、神道を「しんとう」と読むことは、日本人のみんなが知らない、是非とも日本人の皆さんにお伝えしたい、ということなのだろうか。
 いったいどれだけの数の人に聞いてどれだけの人が神道を読めなかったのかは明らかにされていないから、断定はできないけれども、単に製作スタッフが日本文化に無知なだけのような気がする。

・ゲスト「川崎大師みたいに『大師』って付いているのは何でなんですか?」
 池上彰「はい、これは弘法大師から来てるんですけど、弘法大師って空海でしょう? 神社じゃないでしょう? あれは神社じゃないんですよ。お寺なんですよ」
 ゲスト「えー、そうなんだー」「えー」

 最初のゲストは川崎大師を例に挙げ、「大師」とは何かを聞いている。それを、あたかも弘法大師だけが大師と呼ばれているかのように答えるのは、間違いと言っていいほどの言葉足らずだ。以前に他の番組でも佐野厄除け大師の「大師」を弘法大師に由来すると間違った説明がなされていたが、同様の誤解を池上彰もしているのかもしれない。
 それにしても、「川崎大師は神社ではなくお寺なんですよ」の言に、いい年をしたゲストの面々が口々に驚いた声を挙げるというのは、制作者側も本当にこれでいいと思ったのだろうか。
 池上の言葉にあるように弘法大師が空海だと認知されているのであれば、まず川崎大師を神社だと認識することもない筈だ。上記のやりとりはもちろん台本があってのことなのだろうけれども、あまりにも無理がある演出ではなかろうか。

 この他、日本神話についての説明においてナレーションで、「伊奘諾尊と伊奘冉尊が矛で海をかき混ぜて日本列島を作った」と説明していたが、もちろん間違い。海をかき混ぜてできたのは淤能碁呂島であり、この島に降り立った二神が日本列島の島々を生んだのである。
 また皇居に伝えられる神器について池上は、「レプリカというと、そういうことは言っちゃいけないということになっている」と、本当はレプリカだけれどもそういう説明は不敬だから口にしてはいけないかのように喋っていた。これも、実はレプリカだとする前提が正しくない。伊勢や熱田の神器と皇居内の神器の関係について明確に記している古い文献は『古語拾遺』だが、そこには皇室に伝わる神器を、崇神天皇の時に新たに鋳造された天皇守護の聖なる品(護の御璽)としているのみで、本来の神器の模造品だとは言ってないのである。
 しかも皇室伝来の草薙剣は壇ノ浦の海底に沈んだままで、現在の皇室の剣はその後に伊勢神宮から二代目草薙剣として贈られたものといわれる。したがってレプリカという説明はまったく当てはまらない。
 ほかにもいくつか気になる点はあったが、くたびれたのでこのあたりにしておく。

nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

4月12日 [雑感]

 霊能者だか超能力者だかが、この4月12日に大地震が起こると予言し、話題になっているらしい。
 ところで、2012年および14年に衆院選で落選した民主党所属の元衆院議員、末松義規が、

「今年4月12日(日曜日)午前9時頃にマグニチュード8.2の首都直下型大地震が起こる!」
 との想定の下に末松事務所は、大地震への準備活動を開始

 という文言を載せたチラシを配布している。この日付は偶然なのか、わざとなのか。
 予言の日付がいつ頃に発表されたのか知らないので、どちらが先かはわからないが、まあ、偶然なんだろうなあ?


nice!(1)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

より侘びしき年末 [雑感]

 一月一日の深夜に初詣へに行くという習慣を今年は変更し、日が昇ってからゆっくりと参拝することにした。
 いつものようにゴミも放り込まれるお炊き上げの火に御札を入れるのが嫌だったこと、および朝日を拝むことを最近の慣わしにしていること、そして大勢の参拝者の中での一人での参拝が侘びしかったからだ。
 それでも新しい御札が手に入らなければ意味がないので、ひとまず31日の16時頃、神社の様子を覗いてみた。神職が常駐していないとはいえ、まったく人の気配がない。一年の感謝を込めて参拝し、帰宅する。
 そろそろ準備をしているだろうと18時頃、御札を手にして再び神社へ。それでもまったく人はいない。社務所にも明かりがない。ただ社務所の横に、御札やら何やらが無造作に放り込まれている「納所」と書かれた大きな箱を見つけた。
 中にはたたまれた日本酒のパックなどもあって、神前に供えられた日本酒だったのだろうと思うが、一見するとゴミ箱に近い。結局、例年と事態は変わらず、仕方なくその中に手にした御札を納めた。
 22時半頃、三たび神社へ。さすがに人がいて準備が行われている。年が明けるといつも新しい御札を頒布している場所に、御札が詰まった箱も置かれている。しかし神社関係者らしき人はまわりにいない。法被を着た氏子らしい人たちはぼんやりと、手持ちぶさたな様子で何人も佇んでいる。御札はいつ頒布してくれるのか、一人の男に聞いてみた。
 男は話しかけられてもおよそ興味なさそうな表情でこちらをしばし眺め、巫女さんが来てからじゃないとわからない、という趣旨をボソリと無愛想な声で呟いた。近くの別の男も同様のことを言ってきた。巫女はこの夜だけのバイトのはずだからあまり関係ないよなあと思ったが、男たちはなんにも知らなそうで、何よりもまったくどうでもいいという無気力さを漂わせていたので、それ以上の会話は諦めた。
 仕方ないので夜中にまた来るかと思いつつ社務所の方に歩いて行くと、ちょうど中からバイトの巫女二人と関係者らしきおばさんが出てきた。
 そのおばさんに聞くことで、ようやく神宮大麻とこの神社の御札を頂くことができた。ただ、おばさんは神宮大麻のことを「ちょっと、アマテラスはどこに置いたっけ?」などと何度もアマテラスと呼び捨てにし、不快にさせられた。
 こうして例年より一層の侘びしさに寒々としつつ、御札を手にして帰宅した。

nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

神道とお米の関係 [雑感]

 スリムな体型なのに炭水化物抜きダイエットをし、局から出される弁当のおかずだけを食べて白米を残している狩野英孝が、神職の資格を取ったとはしゃいでいる。
 世も末だと思った。

nice!(2)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感