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大作家 [雑感]

 ある雑誌をぼんやりと眺めていたら、漢字四文字で二番目が井の字となる人名を見て、ふと某作家のことかと思い、よく見てみた。しかし違った。筒井康隆の名に見えたのだ。ああ、最近どうしているのだろう、もう齢80を越えているはずだ、元気なんだろうか。
 と、久しぶりに老作家へ思いを馳せながらパソコンを立ち上げてネットを見たら、その筒井康隆が炎上しているというニュースを目にした(笑)。
 惚けたゆえの発言ではなく、作家としてのプロ意識からの発言であることを願いつつ、いずれにしてもお元気そうで何よりと妙に安心した。変な輩に狙われたりしないかとの心配もあるが、本人はもう怖いものなしなんだろうな。

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凝った装幀の悲劇 [雑感]

 ここに二冊の漫画本がある。吉田戦車の『若い山賊』、そして以前にも取り上げた、しりあがり寿の『瀕死のエッセイスト』だ。この二冊は本棚に並べず、それぞれビニール袋に入れて保管している。それは何故か。
 はじめは他の本と同じく本棚に並べていた。しかし、それから十数年が経った頃、今から五年かそれ以上前のあるとき、本棚の整理をしようとして気づいた。この二冊が隣り合った本とくっついて離れないのである。つい無理に剥がしてしまったため、隣の本のカバー、そして特に『若い山賊』のカバーは柔らかい紙質のために所々破れてしまった。
 原因は、カバー表面の文字やイラストの一部に特殊なコーティングがされており、それが劣化して溶けたためである。材質はよく知らないけれども、ちょうど木工用ボンドが固まって透明になったような質感のものによるコーティングだ。
 装幀は『若い~』が小松孝代氏、『瀕死の~』がこの業界では奇抜な装幀で評価も高い祖父江慎氏である。経年劣化で仕方ないと自分を慰めつつも、普通の表紙ならこんなことにはならなかったのにと恨めしい。
 本を買うときにはそれが漫画であろうと学術書であろうとカバーの汚れや潰れがないものを丹念に選び、頁を折ったり線を引いたりもせず、どうしても目印を付けたいときは付箋に留めて綺麗なままで保存し、どんなに下らなくても二度と読み返すことがなくとも処分せずに手元に保管していたいフェチ気味で貧乏性の自分は、あれから何年も経っているというのに、この隔離された二冊を見るたびに、小さな溜息をついている。 

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オノマトペを知らない編集者 [雑感]

 もう二十年以上も前のことだから、当時ベテランの域だったと思われるその編集者はもう定年退職していることだろう。某著名出版社の編集者で、知り合いのある先生から口述のテープを起こすことを頼まれ、その際に知り合った。
 起こした原稿を編集者に渡し、やがて三人が顔を合わせて打ち合わせをしたとき、配られた原稿をめくっていて驚いた。その原稿には編集者が疑問点などを書き込んでいるのだが、文中に出てきたオノマトペという語に傍線が引かれ、?マークが付けられていたのである。それは文脈から見て決して間違った用法でも分かりにくい用法でもないから、単に編集者がその言葉を知らないためと思われた。
 原稿を初めて見る先生からすれば、編集者ではなくテープ起こしをした私がオノマトペを知らずに疑問符を付したと思うだろう。まさか編集者が知らないとは考えないだろうからだ。
 まいったなあと思ったが、あからさまに「オノマトペというのはですね」と説明するのも気が引ける。逡巡しているうちに、休憩となって先生が席を外しているとき、どうしてこの言葉に疑問符を付けているのかと編集者に尋ねてみた。するとやはりオノマトペという言葉そのものを知らなかったことが判明し、説明すると、ああなるほど、と納得していた。
 知り合いの某先生に私が無知だと誤解されたのではないかと危惧したこと、そしてオノマトペも知らないベテランの編集者がいることに驚いたことで、記憶に残っている話だ。
 ただ、その道のプロであっても、案外と知らないことはあったりするということは、今となっては理解できる。人は自分の知っていることは知っているが、知らないことは知らないからである。知っていることについて語ることはできるが、知らないことについては語り得ないので、自分が何を知らないのか明確に意識することはできないのだ。
 学生の時分には、大学教授と言えば自身の専門分野については何でも知っているのだろうと思っていたから、まれにこちらが知っていることを教授が知らないという場面に出くわすと、ああこの先生はたいしたことないんだなと思ってしまった。もちろんそんなことはない。知識の量やその使い方からすれば、はるかに教授の方が多く優れているのに、ひとつの欠けている点のみをもって優越感に浸り相手を見下していただけである。
 他者への批判や嘲笑にはこの手のものが多い。正当な批判と言い難いような批判は、このブログではしていないつもりとはいえ、何かを表明したり検討したりする文章を書く上で多少なりとも自身の傲慢を露顕させてしまうことはあるだろう。常に意識すべきことだろうが、これがなかなか難しい。

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不気味な青色灯 [雑感]

 よく通る近所の踏切は、車が同時にすれ違うことができないほどの幅の小さな踏切で、通行人も少ない。先日、日も落ちた時刻にその場所へとさしかかると、いつもと違って青白いライトに照らされていた。青色灯、ブルーライトというやつだ。
 精神を安定させる作用があるということで、自殺防止として駅のホームや踏切に採用されていることは知っている。
 だが、カラフルな光に彩られた繁華街とは違って、畑も各所にあって地味な色と光ばかりの土地の一角が青色に染まるのは、まったく異質で、違和感しか覚えない。
 違和感はすなわち不安感である。苛立った精神は落ちつくのかもしれないが、同時に不気味さに対する不安や意気消沈といったネガティブな感覚も生じてしまう。まさにブルーな気分だ。
 しかもこれまでの白色ライトとの二段構えで位置は異なるから、二種類にややずれた色の異なる影ができて、まるで輪郭のぼやけた3D画面を見ているようで気が滅入る。
 自殺防止という点では効果があるとしても、それ以外では悪影響をもたらすのではなかろうか。

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濡れたマンホールの謎 [雑感]

 本質的な中身については不明なままなのだが、ずいぶんと前から不思議に思っていて、昨年になってついに判明したことがある。
 自宅からスーパーまで向かう裏通りは、裏通りであるだけに車もたまにしか通らず、人もあまり歩いてはいない。そんな道をよく夕方に歩いているのだが、途中の四つ角にあるマンホールのひとつが、なぜかいつも濡れている。
 最初は蓋の下の湿気の問題かと思ったが、季節に関わらず、また天候にも関わらず、水をかけられたようにびしょびしょに濡れているのである。その四つ角には三つのマンホールがあって、うちのひとつだけが必ずといっていいほど水浸しとなっているのだ。
 これはいったいなんだろうと不思議に思いながらも、通り過ぎれば忘れ、わざわざ解明しようとする気も起こらないから、いつまでも謎のままとなっていた。それが昨年のあるとき、件の場所へとさしかかると、自転車に乗ったおばさんがペットボトルの水をばしゃばしゃとマンホールにかけていてるのを見た。いつも濡れているあのマンホールである。おばさんは水をかけたあとすぐに去って行った。その目撃によって、かのマンホールがなぜいつも濡れているのかという謎は判明した。
 だが、おばさんのその行動の意味まではわからない。ペットを連れていたわけではないから排泄物の処理ではないし、かけているのが普通の水なのか、それとも何かの成分が含まれているのかも、もちろん見ただけではわからない。
 一度、近くの野良猫が濡れているマンホールに近づいて鼻を寄せている場面に遭遇したが、舐めるでもなく、嫌がるでもなく、すっと通り過ぎた。
 いろんな妄想が広がる。おばさんには人には見えないものが見えていて、そのマンホールから出てこようとしている何かを浄化するために清めの水をかけて町の平安を守っているのか。何かしらの恨みをマンホールに抱いていて、早く錆びてしまえと水をかけ続けているのか。野良猫を殺すための毒水を、猫には察知されて相手にされていないにも関わらずしつこく撒き続けているのか。
 これからも真相はわからないままだろうし、おそらくわからなくてよいことなのだろう。こんな文章を書き続けていることと同じように、他人には理解できないことであっても、人はあれこれと強迫観念に似た行為を飽きることなく続けるものなのである。

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破滅の予兆 その3 [雑感]

 数年前から日本の神々に関する48枚の某カードを毎日引いている。ただしタロットとは違って死神や塔に相当するものはないので、解説にある内容とは別の解釈をして、泣沢女神のカードを凶の意味合いに捉え直して判断するようにしている。
 1月の20日21日と、続けて泣沢女神がお出ましになった。翌22日は別の神様だったが、その一枚下にはこの女神が見えている。その日の夜、前回の記事には書かなかったが、『瀕死のエッセイスト』を片手に台詞を打ち込んでいたとき、部屋の電灯がチカチカと明滅し、ふっと消えた。もう三年ほど使っている蛍光灯とはいえ、明かりを失ったのはそれが初めてである。
 たいして不吉とも感じずに就寝し、目覚めた朝、もし今日もこの女神が見えたら俺は今年中に死ぬことになる、と思いながら引いてみた。泣沢女神が出た。
 しばらく手にしていなかったタロットを、忌まわしいカードが出たら今年中に死ぬことになると念じながら引いてみた。塔が出た。

 三年前、自分が死ぬ予兆がいくつかあって、そのことを何度かこのブログに書いている。平成26年3月8日には「破滅の予兆 その2」のタイトルで、真冬にドラセナが花をつけようとし、寒さに耐えられず散ってしまったことを書いた。
 実は昨年末から再び蕾が伸びてきている。寒さに弱いドラセナがなぜ真冬に花をつけようとするのかは分からないが、三年前より諸々の状況は一層厳しく、予兆に対する確信は高まるばかりである。

 付記。この記事をメモ帳に書き上げた数日後、叔父が亡くなった。三十年も会ってなく、葬儀にも帰られない。まったく申し訳ないが、親が死んでもすぐに帰ることが出来るかどうかも怪しい状況だ。
 ともあれ一連の予兆が今回のことに関連しているのか、それともまた別の事態に関連しているのか、はたまたまったく無関係なのかは、もちろんわからない。

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楽しい食事の夢 [雑感]

 以前に書いたことだが、ここ数年来、旅をする夢ばかり見ている。じっとしていてばかりの日常に対しての、無意識からの反撥だろう。
 ところが最近、様相が変わってきた。旅をするのではなく、割合と気分良く人と食事をする夢をここのところ続けて見ている。夢占い的には幸福を暗示するらしい。
 しかし、その占いはおそらく当たらない。幸福の招来を想定できる芽が見当たらないだけでなく、自身の経験からすれば、夢は現実に欠けているものを補って精神の均衡を保とうとする働きが中心としか思えないからである。
 旅が終わって食事も済めば、あとは安らかに眠るだけだろうか。

「また夢を見ました」
「それはそれは壮大なパーティーで」「大勢のキレイな人達がいて」「だけど私ははだしで、みすぼらしく」「すみっこで小さくなっていたんですが」
「そんな私をみんなは愛してくれて愛してくれて…」「本当に心から愛してくれて」
「…これはきっと死ぬ夢ですね」

 このような台詞のある『瀕死のエッセイスト』(しりあがり寿)の漫画が切なく胸に迫る。

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ホース紛失事件 [雑感]

 前回書いた「窃盗」事件で思い出したことがひとつある。思い出したとは言っても一昨年のことで、しかも現在進行中である筈のことだ。
 一昨年の夏、風呂釜が故障して使えなくなったので、大家に連絡し、新しいものを入れて貰った。壊れた風呂釜は押して回して点火する式の古いやつで、シャワーも装備されていないから、後付けで簡易シャワーを取り付けていた。これは蛇口から分岐したホースの水が浴槽内の穴の前に設置したタンクを循環し、暖められてシャワーとして出るというものである。このときはタンクは外し、分岐したホースはそのままで浴室の掃除の時などに活用していた。
 東京ガスの新しい風呂釜はシャワー付きだったので、簡易シャワーを使う必要はない。しかし工事が終わって久しぶりにお風呂に入って、何か変だなと思い、少しして気がついた。簡易シャワーのタンクにつなげるホースが見当たらない。
 蛇口から分岐したホースは新しいものに変わり、新しい風呂釜につながっている。だが以前のホースは簡易シャワー専用の金具が付いたものだから、あれがなくては困る。このアパートに死ぬまで住み続けるか、引っ越しした先の風呂にシャワーが付いていれば問題ないけれども、そうでなければ再び簡易シャワーを使用する可能性は高いのである。
 問い合わせようと思った矢先、新たな問題が発生した。設置された風呂釜が実はうちの環境では規格外のものだったと判明し、急遽また別の風呂釜に取り替えることになってしまった。東京ガスからやって来たのは前回とは別の社員で、事情を説明し、前回の工事で持ち去られたホースを探して返してくれるよう頼んだ。もちろんこれは窃盗ではなく、不要品だと勝手に解釈したという不注意だろうが、こちら側からすれば私物が許可無く持ち去られた事件である。
 今度の風呂釜もシャワーは付いているから、当面の問題はない。東京ガスの社員も真面目に対応し、ホースの件だけで何度か足を運んでくれた。あるときメモ書きのある名刺が新聞受けに入っていた。それには「浴室用のホースですが、現在、探し中です。見つかり次第、お届け致します」と書かれている。
 その日付が平成二十七年の九月。以来、何の音沙汰もない。
 もはや現在進行形の事柄ではなくなっているのだろうな。

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回収か窃盗か [雑感]

 TVタレントの好感度調査に協力してくれというパンフレットが、玄関ドアの新聞受けに差し込まれた。見てみると、あのビデオリサーチ社からのもので、東京駅から何十㎞か圏内の千数百人(具体的には覚えていない)を無作為に選んで依頼しているとのこと。
 それにしてはパンフレットの宛先にこちらの名はなく、「様」の前に部屋の号数が走り書きされているのみで、在宅中であったにもかかわらずノックもなく黙って差し込んできたものだ。
 翌日に訪問するから、その際に応じてくれるようにとのことだったが、千円の商品券を貰えると言っても時間指定のない来訪を気にしながら待つ義理はなく、そもそもタレントの好感度に興味はないし、よく知らない。よって無視することにして、そのパンフレットを元のように新聞受けに差して放っておいた。
 すると翌日の15時頃だったか、ドアがノックされた。しかしこちらの反応を待つ間もなく、新聞受けをガタガタと何かしていると思ったら、すぐに去って行った。見ると件のパンフレットが消えている。
 さて、回収を予告しているわけでもないものを黙って他人の新聞受けから持ち去るのは、どういうことだろう。
 この場合の所有権が法的にどちらにあるのかは知らないが、窃盗行為ではなかろうか。まあ、こちらも無視を決め込むつもりでいて、事を荒立てるつもりはないからどうでもいいといえばいいけれども。

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初詣 [雑感]

 一年以上も放置してしまったのは、忙しくて時間がなかったからではなく、誰も読まなければ原稿料が発生するわけでもないような文章を書く精神的な余裕がなかったからである。今も決して余裕があるわけではないけれども、いつ全てが瓦解するか分からないから、たまには何でもないことでも書くことにしようかと思う。

 今年もいつものように、年が明けてすぐに一人で近くの神社に初詣をした。
 ただ、いつもは孤独を覚えながらも他の見知らぬ人たちとともに参拝していたのだが、今年は少し違った。
 列をなしている参拝者の中で、自分の横と後ろに三人連れの親子がいて、自分より年下らしき父親が横に、後ろにその奥さんと中学生くらいの娘がいる。その体勢で神前まで進んでいく。が、いざ参拝の時となると、やはり親子は三人並んでやりたいわけで、その父親はすっと後ろに下がり、自分一人だけが神前に向かうことになった。
 隣に人がいることを望むわけではなく、むしろ誰もいないほうが好ましい。
 しかし好ましいとはいえ、それは決して満足できる状況ではないことは言うまでもない。
 神札を頂く際にバイトの巫女さんから「明けましておめでとうございま~す」とにこやかに挨拶されたその言葉と笑顔を胸に、今年もいつものように一人、アパートの一室へと足早に帰って行く。

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