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高倉健と国民栄誉賞 [社会]

 長嶋茂雄氏が国民栄誉賞を受賞したとき、某著名人が「現政権は長嶋さんを人気取りに利用した、許せない」といった趣旨の発言をしていた。
 この発言は長嶋氏を敬愛しているように聞こえるが、詰まるところ、長嶋氏に受賞の資格がない、と言っているに等しい。受賞が相応しいのならば何の問題もないはずだからだ。
 遅すぎた感はあるけれども、タイミングとしては引退したばかりの松井秀喜氏と同時で良いきっかけであったし、これを逃せば没後のことになりかねなかった。ましてや、どの政権のときならば授与が許せるといった理屈が存在するなら、それはあまりにも自分勝手な理屈だろう。
 すなわち単に安倍政権を否定したいが為の発言であって、そのような政治的発言に長嶋氏が利用されたに過ぎないのである。
 高倉健氏が亡くなり、没後で残念ではあるが国民栄誉賞のきっかけが生じた。もはやこのときをおいて授与の機会はないだろう。にもかかわらず、政権が人気取りのために授与しようとしている、といった批判もちらほらと出て来ている。
 そんな政治的な発言に長嶋さんや健さんが利用されるのは、まったく悲しいことだ。

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墓地セールスの迷惑電話 [社会]

 一昨年の夏、石が付く名の会社からの電話による墓地セールスが、断っているにもかかわらず何度もかかってきて、「これ以上しつこいと訴えるぞ」とまで声を荒らげたことをここに書いた。
 同じ会社からの電話がまた来た。
 もう我慢ならないのではっきり書く。「いしのや」という名の会社だ。
 拒否しているのにそれを無視して電話をかけてくるのは、もはや犯罪的である。自宅を仕事場としている自分にとっては、営業妨害にも等しい。
 相手に文句を言ったところ、「もうそちらの番号にはかけないようにします」と謝ったが、その台詞は前回も聞いた。つまり言葉だけであって、そんな措置は少なくとも前回はしていなかったということだ。
 消費生活センターかどこか、しかるべきところへの通報を考えている。
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不正選挙とか [社会]

 長いようで短かったというべきか、短いようで長かったというべきかはわからない三年三ヶ月を経たが、結局は何も変わってはいないような気がする。変わってないというのは、日本全体の意識の有り様とでもいうものだ。
 ただ、ひとつ変わったと思えるものがある。それは、その意識の有り様を区分する濃淡だろう。その区分をどう表現したらいいのかは難しいが、敢えていくつか挙げるなら、日本を愛する者と愛さない者、保守派と非保守派、主観的な感情を込めるなら、まともな感覚の人間と馬鹿だ。
 たった三年と少し前の、マスコミの与党に対する態度を記憶していれば、この国のマスコミがいかに異常に偏っているかはわかりそうなものである。しかしそんなことをまったく気に留めずに、マスコミは案の定、安倍政権に対する異常な批判や侮蔑を行い、その尻馬に乗る者もいる。
 先の選挙の前にはアンケート調査によって自民党の勝利が予測され、選挙当日にはマスコミ各社の出口調査でも自民党の勝利が予測され、そしてその通りの結果になっているにも関わらず、偏った思想に侵された馬鹿な人たちは選挙において自民党勢力が不正を行ったと主張している。
 いくら偏ったマスコミでもすぐに結果が出る選挙において出口調査まで捏造することはなかったようだが、馬鹿な人たちは反自民に染まるマスコミより更に愚考による愚行を演じているようである。断末魔だろうか。
 いずれにしても敵があからさまになることは、お互いにとって良いことかもしれない。
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尖閣・竹島、支那・外人 [社会]

 石原慎太郎が中国を「シナ」と呼ぶことを中国が反撥していることについて、他の多くの国々も「シナ」や「シーナ」、そしてもちろん英語では同系統のチャイナと呼んでいるために正当性がないことは、今やあちこちで指摘されている。
 石原はタカ派ではあっても保守派ではないので個人的には積極的に支持する気はないけれども、シナという語を使うことは決して間違ってはいない。蔑称でも何でもなく普通に使われていた言葉で、例えば大学の学科名でもかつては支那文学科という名称が使われていたりして、こういうところに蔑称が使われる筈がないのは明白なことだろう。
 さて問題は、こういう中国の正当性のない批判に対して、当の石原慎太郎以外の政治家や政府がきちんと反論しないことだ。民主党の細野豪志にいたっては無知ゆえか中国の機嫌取りのためか、シナという語の使用を問題視する始末である。
 差別しているわけでもないのに差別だと批判すること自体、差別に他ならない。つまり中国は不当に石原を、ひいては日本を差別しているわけで、そのことを日本としては問題視しなくてはならないのだ。
 かつて普通に使われていた外人という言葉が差別的だと問題視され、今ではテレビ等でもあまり使われなくなった。これも訳の分からない問題視である。言葉を省略するのは蔑称でも何でもなく、中華人民共和国を中国と呼ぶようなものだ。それが外人を害人となぞらえられたためか、外人の語そのものが差別語であるかのように定着してしまった。日本では外国人を害人だと差別しているんですよ、と日本を貶めるための宣伝をしていた勢力の結果のように思える。
 尖閣や竹島の問題でも中韓は日本が不当に領土を侵略しようとしているように主張しているが、上記のようなシナや外人の問題と同根なのである。
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ネトウヨ・カルト・洗脳・慰安婦・南京 [社会]

 ネット上ではいろんな思想的な、もしくは思想という範疇に入らないものも含めた立場での文章が見られるものだが、なぜか保守的愛国的な表明はネトウヨという名称が用いられて蔑まれたりしている。
 それはいわゆる右翼的な言説を忌み嫌う側からなされるものだから、その側の人たちにとっては相手を罵倒するつもりでネトウヨなる言葉を用いているのだろうけれども、客観的に見れば左側にいる人が右側にいる人を「あなたは右側にいる人ですね」と指摘しているだけのことだ。けれどもなぜか「ネトウヨ」は批判的なレッテルである。
 たまに左翼的な言説に対して「ネトサヨ」という言葉で批判することもあるが、おそらく使用頻度からすれば圧倒的に少数だろう。つまり保守的愛国的な立場は批判されるべきだというレッテル貼りが根強いわけで、こういった思い込み的な名称をなんら吟味することなくネトウヨを問題視する知識人がいるのはまったく困ったことである。
 似たような事例は他にもある。某女性芸人の問題に関して、カルトやら洗脳やらといった用語が当たり前のように使われていることだ。
 カルトはネトウヨと同じく、一方の立場の側が、価値観の異なる相手を罵倒するための名称である。保守的なキリスト教徒が他の宗教を宗教の名に値しない低俗な「カルト」と決めつけたりしていたわけで、客観的な定義を持つ用語としては使いづらいものである。
 洗脳という言葉にしても、あの女芸人の場合は、違法的な拉致監禁や投薬がなされたわけではない以上、程度は重いかもしれないが「信奉者」にすぎない。あくまでも括弧付きの「カルト」や「洗脳」である筈なのに、マスコミの報道では当たり前のようにそれらの言葉が舞っている。
 マスコミ報道では決めつけや思い込みばかりで、その実際の意味するところの検証がないままでの垂れ流しなことは、いわゆる慰安婦問題や南京虐殺やらも同様である。
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いわゆる慰安婦問題 [社会]

 体を売ることを仕事とする女性は当時、日本にも朝鮮半島にも普通に存在していた。
 そしてまた軍人に肉体的な享楽を提供する女性の存在は、当時の軍隊では珍しくなかった。
 当然、わざわざ海の向こうから女性を攫って来て慰安婦に仕立てる必要性も合理性もない。
 料理人が必要なときには素人を連行して調理を教え込むより、プロの料理人を雇えばいいというだけのことだ。その道のプロを雇えば簡単に済むし、たとえプロでなくても普通に募集して集まった女性たちを採用してもいい。実際、「公募」の物的証拠はあるが、「強要」の物的証拠はない。
 軍人に体を供する仕事の日本人や朝鮮人の女性がいたのは事実だろう。それが本人の意に添うものであったかそうでなかったかについては、それぞれの当時の事情によるもので、もはや軍隊の責任ではない。
 ただそれだけのことだ。あとは戦後数十年もたっていろんな打算やら目論見やら欲望やらが渦巻き、わけのわからない虚構が生み出され利用されているという、醜くも哀しい「問題」が問題視されているということである。
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大阪「都」構想について [社会]

 橋下氏が掲げる大阪都構想に、まあ反対というわけではない。
 ただ、ひとつだけ気になることがある。「都」を複数に存在させることへの違和感だ。都はもちろん「ミヤコ」とも読み、これは天皇の住まう御殿がある場所であることを本義とする。この本来の意味からすれば、現在の都は東京だけであってしかるべきなのである。
 現在使われている東京都の「都」は単なる行政区画の名称であって、明治天皇が東京に住むようになってすぐに東京都と呼ばれるようになったわけではない。しかし、ミヤコが持っている本来の意味から、都がひとつの国にいくつも存在するということには、言霊の観点からも抵抗感があるのだ。
 中身は都と同じで名称だけ別のものにするのならば、まったく問題はないのだけれども。

 さて、選挙前のマスコミによる橋下氏へのバッシングが激しかったようで、相変わらず、というかもはやあからさまに世論誘導の姿勢と不公正な立場を隠すことなく晒していることに、末期的なマスコミの姿を見る思いがした。そういう意味でも、今回の大阪W選挙は興味深かった。
 先日は国賓のブータン国王を招いての天皇皇后両陛下主宰の晩餐会を欠席して政治資金パーティーに出ていたという防衛大臣が問題になっていたが、マスコミ的にはたいして騒がれなかった。あるテレビ番組では軽薄そうなキャスターがこの問題に関し、「ちょっとどうかなとは思うけれど、これが政争になってほしくはないですね」とコメントして締めくくっていた。
 大臣の立場の人間があからさまに国賓と皇室を軽視する行動を取ったにもかかわらず、である。立場をまったくわきまえていない人間が大臣という要職にいて、それを厳重注意のみで済ます内閣という愚かで恥知らずな現状であるにもかかわらず、マスコミは問題視したくないらしい。
 やはり現状の日本が抱えている最大の癌は、マスコミである。
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適当に三題 [社会]

 あの髪型をショートと呼んでいいのかどうかは知らないが、榮倉奈々は日本一ショートが似合う女性だと思っている。そして先日、榮倉に次ぐタレントを見いだした。AKBの宮澤なんとかいう女性だ。
 AKBにはたいして興味はないけれども、こういう可愛い女性もいたのかと認識を改めた次第。まあそれでも榮倉奈々がショートではトップだけれども。

 中学生にもわかるような文章を書け、と言ってくる編集者が多い。しかしそれは、結果的に文化の衰退に他ならない。雑誌が売れるための方針に過ぎないが、長期的に見れば広い意味で文化の、狭い意味で出版業界の、緩慢な自殺行為に等しい。本来の意味での言語道断という表現に近い。

 靖國神社への参拝を拒否した野田は、韓国で軍人等を祀る墓地には参拝している。少なくとも日本人にとっては恥ずべき人物である。過度に日本を賛美する必要はないけれども、少なくとも日本の政治家のトップにいるのなら、国のために死んだ人たちを慰撫するくらいの行為はしてくれ。

 間が開いてしまったので、適当に以上の三題について簡単に触れてみた。
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新聞・政府・テレビからの腐臭 [社会]

 毎日新聞ジュネーブ支局の伊藤智永という人が、安倍・福田・麻生・鳩山といった最近の総理を評して(なぜか退陣したばかりの菅には触れず)、「麻生太郎氏……あれ、「踏襲・未曽有」(フシュウ・ミゾユウ)騒ぎしか思い出せない。」と書いている。
 語るに落ちるとはこのことだ。結局マスコミの人間は、政治的な問題ではなく、そういった揚げ足取りしかせずに批判的なキャンペーンを張っていたということである。麻生元総理が政治の上で何を主張し、何を行ったではなく、漢字の読み間違いといった政治以外のことばかりをひたすら取り上げて貶めていただけであることを露呈してしまっている。

 民主党の輿石が、「国難の時であり、党と政権を守らないといけない」と発言して野田を支えていくことを表明している。
 この内閣の幹事長という要職に就いている人物は、「国難」に際して守るべきは、国や国民を差し置いて、党と政権だと言っているのである。この手の発言が民主党議員に多いのは、鳩山と菅による内閣が大失敗だったことによる危機感だけでなく、最初から国や国民に責任を持つ意識を持っていないからだろう。たとえ嘘でも国民のためという言葉が出てこないほど眼中にないか、自己保身にしか興味がないのである。

 韓流に偏ることを批判されたフジテレビが、自分たちに非はないと反論している。
 偏っていることを示す材料はいくつもあるが、フィギュアスケートの大会において浅田真央選手よりも韓国の選手に肩入れし、優勝した浅田選手を差し置いて韓国の選手が優勝できなかったことを残念がるという番組作りのひとつを取っても、その異常性は窺い知れるというものだ。よほどの親韓の日本人もしくは朝鮮人が局内の上層部に多く巣くっていなければありえない事態だろう。
 流行におもねっているという以上に、親韓というよりも媚韓であり反日ですらあって、どこの国の放送局かわからないといった気持ち悪さである。しかもフジテレビだけが媚韓というわけでもない。

 新聞・政府・テレビ、いずれも、もはや「日本」ではない。
 こんな社会は早く崩壊しろという暗い願望を抱いてしまう現状を、ただひたすら哀しく思う。
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教科書に載らない日本の謎 [社会]

 ようやく今年の「教科書に載らない日本の謎」を見た。このシリーズは今回で三回目だったか。前作も前々作も間違いや不十分な解説が散見され、せっかくのテーマなのに残念に思ったが、今回もやはり同様の出来だ。
 やっぱりテレビは駄目だ。映像で説明されるとわかりやすいように感じるけれども、結局のところ情報量が少ない。少ないから、そしてまた関心を集めるため(視聴率を得るため)に、印象的な煽りの語句が繰り返され、面白さをもたらすかもしれないが結局は中途半端な知識しか与えない。
 監修者にはそれなりの専門家がついているようだが、おそらく、全体を隈なくチェックしているわけではないのだろう。とてもしっかりとチェックしているとは思えないようないい加減な出来だからである。

 今回に関しては、例えば、
・空海と最澄の仲違いの原因を経典の貸し借りにおける「ささいなこと」と表現していたが、空海の密教の立場からはそれは決して些細なことではない筈で、その密教の立場は番組内でも説明していた。なのに、何度も繰り返して「ささいなこと」での仲違いだと馬鹿にするニュアンスであった。
・佐野厄除け大師の「大師」を弘法大師に由来すると説明していた。実際は慈恵大師(良源)に由来する。
・明治政府の宗教政策について「廃仏毀釈で仏教をたたいた新政府」と表現していたが、明治政府の政策は神仏の分離であって、廃仏毀釈ではない。それを行ったのは主に勘違いした民間側である。

 その他にも、間違いではないけれども何だかなあと思ったのは、
・日本語の中に見られる仏教語についてのコーナーで、コントに登場する人物に「ゴルフ三昧の夫」と説明されているので「三昧」は仏教語だと解説するかと思ったら、なぜかそれには触れなかった。
・柳原可奈子が自身が連れて行かれていたお寺で「ナムアミダボウ」と唱えていたと発言し、ナムアミダブツを言い間違えたように笑われていたが、浄土真宗では「ナムアミダブ」と唱えるから、あながち言い間違いでもない。そんな宗派による唱え方の違いについての言及はまったくなかった。
・同じく柳原は地蔵菩薩について「まだ修行中だったんだ、あいつ、みたいな」と発言して笑いを取っていたが、なんとも不敬で不愉快な発言だった。

 何よりもっとも残念なのは、この番組がシリーズになって放送されるほど、この程度の内容の番組でも「へー、知らなかった」と面白がる日本人が多いらしいことだが。
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