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フェイクのフェイク [社会]

 なぜか、ネットでもあまり大きく取り上げられなかったような気がすることについて、今さら感もあるのだが覚え書きとしての意味も込めて書いておく。
 ここ数年何かと話題となる流行語大賞の件である。今年の流行語のひとつに選ばれた「フェイクニュース」について、発表会場における説明では、「インターネット上でフェイクニュースが蔓延している」といい、そして「自分に都合の悪い情報をフェイクと決めつける新しい使い方をアメリカ大統領が実践した」とも言っている。つまりフェイクニュースはネット上の問題で、なおかつテレビ新聞等のマスコミに対してのフェイクだという批判には正当性がないように解説しているわけである。
 これは流行語大賞のサイトにおける説明でも同様で、「ネット上でいかにもニュース然として流布される嘘やでっち上げ」と、ネット限定の現象であるかのように書かれている。
 テレビ新聞等のマスコミにおいて出鱈目および偏向した報道が数多くなされていることは、もはや改めて指摘するまでもないほど、うんざりするほどの事例があり、しかもますますエスカレートしているようにさえ思われる。流行語大賞は毎年マスコミで大きく取り上げられる風物詩となっているため、そんなマスコミと一体化した組織がマスコミを批判しないよう忖度し、偏った解説を垂れ流しているのだろうが、問題は、その流行語大賞を選定しているのが自由国民社やユーキャンという出版や教育に関わっている組織ということにもある。
 マスコミ人に知性を要求するのは、もはや無理と諦めるしかない。しかし出版や教育の主体となる知識人に公正な認識力や倫理観がなくては致命的だろう。もちろん大学教授の肩書きを持っていても異様に偏った思想や世界観を持つ研究者はいたりするが、単純な言葉の定義の段階で狂っていては、もう本当に致命的と言わざるを得ない。
 世にいう知識人やマスコミ人たちの中に、戦前戦時中の政府による言論統制を批判的に見ない人はおそらくほとんどいないだろう。今や自分たちがそのおぞましい言論統制をしていることに気づいている人は、果たしてどれくらいいるのだろうか。

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力士と異文化 [社会]

 数年前、取組に物言いが付いたことに対し、自分が勝っていたのは「子供でもわかること」だと言い放って審判部を侮辱して以来、白鵬を横綱としては軽蔑している。相撲取りとしては強いから、その点には敬意をはらうとしても、横綱としては軽蔑する。
 まあ、自信があってこその怒りにまかせて口が滑ったのだろうが、横綱という立場なのだからそんな斟酌をする必要はない。ましてや人種や文化の違いなどを斟酌する必要もなく、あくまでも横綱としては失格という判断を下さざるを得ないのである。しかもそれについての謝罪もテレビのバラエティ番組において行うという、ちょっと異常な行動で、そんな反省の言葉を信じるのは無理だろう。
 だから今回、また白鵬が自身の取組について問題を起こしたことには、まったく驚かない。横綱失格の人物が横綱失格の行動を取ったというだけで、やっぱりそういうことだよなと再認識しただけだ。
 ただ、より責められるべきは、そんな似非横綱に強く出ることのできない相撲協会の方である。数年前のあのときに注意と、お騒がせして申し訳ないといった感じの曖昧な謝罪めいたものだけで済ませているから、本人の中身は何にも変わっていない。日馬富士の問題にしても無能無策ぶりが目立つ。
 今の世の中、土俵の上では国籍も人種もないと考えるべきなのだろう。しかし土俵を降りたところに外国人同士の派閥を形成し、その中で陰湿な事件を起こしてしまうのでは、結局、国籍も人種もあることをモンゴル人力士らが示している。白鵬は人種差別を受けているといった思いを持っているそうだが、自分の判断に異を唱える日本人の心情に差別を感じているのなら、もはや何をか言わんやである。
 子供でもわかる発言はとんでもない暴言と思ったが、世間的にはあまり白鵬に対するバッシング等はなかったように記憶している。テレビ番組内での謝罪だけが浮いていた印象で、少なくとも暴言によって白鵬の人気が急落したようにも見えない。今回も、日馬富士というより貴乃花親方の話題に掻き消され、注意と反省の弁のみで忘れ去られるのだろう。世間やマスコミは相手が外国出身ということを斟酌しているのだと思われるのだが、これら一連の問題は相撲協会の体質だけでなく、異人種、異文化の存在に抜き差しならず内包されるやっかいな問題なのである。

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容疑者ドラえもん [社会]

スネ夫「僕の高級どら焼きを食べたのはドラえもんに違いない」
のび太「ドラえもんはそんなことしないよ」
ジャイ「いや、ドラえもんならやりかねないぞ」
のび太「馬鹿なこと言わないでよ」
スネ夫「じゃあ、やってないという証拠を見せろよ!」
ジャイ「そうだそうだ、見せて見ろ!」
のび太「そんな無茶な…」

 注意深く観ていたわけではないので正確ではなく、最後まで観てもいないので結局はドラえもんが犯人だったのかもしれないが、こんな場面をたまたま目にした。
 こんなアニメみたいな追求を現実に、恥じるとか後悔することもなく延々と何ヶ月も継続して、しかもまだ続けていくと表明している野党政治家とかマスコミ関係者とか自称知識人とかがいるらしい。
 税金や公共の電波や媒体などを使っての身を削ったギャグのつもりでもなく、いたって本気らしいのだが、自分たちがマンガ的な言動を演じていることには気づいていないのだろう。たぶん。
 こういうときにいつも思い起こすのは、水商売の人間は宗教と政治と野球の話題を客とするのを避ける、ということだ。自分の信じているものや好きなものに対して、人は客観的でいられないのである。お酒の場では羽目を外して口論になったりしてしまうからタブーとされるのだが、彼らはそんな特殊な席に常在しているわけではなく、特にマスコミ関係者は自身の好みや思想に関わらず客観性を保持して発言しなければならないにもかかわらず、未来の便利な道具がないのをよいことに子供向けのアニメのキャラと変わらないような理不尽で非理性的な発言ばかり垂れ流されるという、馬鹿らしさ。

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同性愛差別 [社会]

 某芸人のホモキャラ問題はすぐに鎮静化するような下らない話かと思ったら、まだぐだぐだと謝罪やら話し合いやらが続いているらしいので、これに関連した、どうしても以前から解せないと感じていることなどについて書いておく。
 あのキャラは差別的だとは思っていないが、それとは別に、性的マイナリティへの差別をなくすことは良いことだろう。しかし、肝心の同性愛者たちにも問題があることは否定できないのではないか。
 というのは、男の同性愛者が好みの人物の体をべたべたと触ったり、無理矢理にキスをしたりすることはあまり珍しくないことだからだ。私自身も高校生の時に軽く品定めらしきことをされたことがある。人気の無い場所で上級生からしばらく腕や肩や胸元を撫でられ、その間に上級生の男はうれしそうな顔をしていたが、結局はお気に召さなかったらしく大事になる前に解放された。この程度のことで済むなら何でもない話だとはいえ、もう少し不快な目に合わされても、たいていは我慢せざるを得ない。
 しかし男が女性にそういう行為を働けば普通にセクハラであり性的犯罪なのだから、上記のような場合の性的嗜好は男女間の関係とは異なる関係におけるそれであって、決して「普通」ではないのである。
 そしてまた、そのような行為を悪びれることなく行っている同性愛者は、もちろん全員がそうだとはいわないが、自身の立場や性癖に甘えているに過ぎない。その甘えは、世間体を考えて警察沙汰にすることはないと高をくくって女性に手を出す性犯罪者と、何ら変わりないものだ。
 過去に少年をレイプしていたという某若手元俳優がひところ話題になっていた。しかしこれが少女を、という話だったら、もっと非難囂々だったろうし、それ以前に発覚した時点で通報されている。
 また同性愛者の芸能人が、他人に対してハゲとかブスとかデブとか罵っている光景はテレビでいくらでも目にする。それは良くて、同性愛者を罵っているわけでもなくキャラを演じるだけのことを駄目だと糾弾するというのは、まったく理に合わない。
 今回の騒動は、差別どころか物真似すら許されないアンタッチャブルな存在に同性愛者を位置づけることになるわけで、それこそ忌まわしき差別に他ならないのではなかろうか。

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高倉健と国民栄誉賞 [社会]

 長嶋茂雄氏が国民栄誉賞を受賞したとき、某著名人が「現政権は長嶋さんを人気取りに利用した、許せない」といった趣旨の発言をしていた。
 この発言は長嶋氏を敬愛しているように聞こえるが、詰まるところ、長嶋氏に受賞の資格がない、と言っているに等しい。受賞が相応しいのならば何の問題もないはずだからだ。
 遅すぎた感はあるけれども、タイミングとしては引退したばかりの松井秀喜氏と同時で良いきっかけであったし、これを逃せば没後のことになりかねなかった。ましてや、どの政権のときならば授与が許せるといった理屈が存在するなら、それはあまりにも自分勝手な理屈だろう。
 すなわち単に安倍政権を否定したいが為の発言であって、そのような政治的発言に長嶋氏が利用されたに過ぎないのである。
 高倉健氏が亡くなり、没後で残念ではあるが国民栄誉賞のきっかけが生じた。もはやこのときをおいて授与の機会はないだろう。にもかかわらず、政権が人気取りのために授与しようとしている、といった批判もちらほらと出て来ている。
 そんな政治的な発言に長嶋さんや健さんが利用されるのは、まったく悲しいことだ。

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墓地セールスの迷惑電話 [社会]

 一昨年の夏、石が付く名の会社からの電話による墓地セールスが、断っているにもかかわらず何度もかかってきて、「これ以上しつこいと訴えるぞ」とまで声を荒らげたことをここに書いた。
 同じ会社からの電話がまた来た。
 もう我慢ならないのではっきり書く。「いしのや」という名の会社だ。
 拒否しているのにそれを無視して電話をかけてくるのは、もはや犯罪的である。自宅を仕事場としている自分にとっては、営業妨害にも等しい。
 相手に文句を言ったところ、「もうそちらの番号にはかけないようにします」と謝ったが、その台詞は前回も聞いた。つまり言葉だけであって、そんな措置は少なくとも前回はしていなかったということだ。
 消費生活センターかどこか、しかるべきところへの通報を考えている。
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不正選挙とか [社会]

 長いようで短かったというべきか、短いようで長かったというべきかはわからない三年三ヶ月を経たが、結局は何も変わってはいないような気がする。変わってないというのは、日本全体の意識の有り様とでもいうものだ。
 ただ、ひとつ変わったと思えるものがある。それは、その意識の有り様を区分する濃淡だろう。その区分をどう表現したらいいのかは難しいが、敢えていくつか挙げるなら、日本を愛する者と愛さない者、保守派と非保守派、主観的な感情を込めるなら、まともな感覚の人間と馬鹿だ。
 たった三年と少し前の、マスコミの与党に対する態度を記憶していれば、この国のマスコミがいかに異常に偏っているかはわかりそうなものである。しかしそんなことをまったく気に留めずに、マスコミは案の定、安倍政権に対する異常な批判や侮蔑を行い、その尻馬に乗る者もいる。
 先の選挙の前にはアンケート調査によって自民党の勝利が予測され、選挙当日にはマスコミ各社の出口調査でも自民党の勝利が予測され、そしてその通りの結果になっているにも関わらず、偏った思想に侵された馬鹿な人たちは選挙において自民党勢力が不正を行ったと主張している。
 いくら偏ったマスコミでもすぐに結果が出る選挙において出口調査まで捏造することはなかったようだが、馬鹿な人たちは反自民に染まるマスコミより更に愚考による愚行を演じているようである。断末魔だろうか。
 いずれにしても敵があからさまになることは、お互いにとって良いことかもしれない。
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尖閣・竹島、支那・外人 [社会]

 石原慎太郎が中国を「シナ」と呼ぶことを中国が反撥していることについて、他の多くの国々も「シナ」や「シーナ」、そしてもちろん英語では同系統のチャイナと呼んでいるために正当性がないことは、今やあちこちで指摘されている。
 石原はタカ派ではあっても保守派ではないので個人的には積極的に支持する気はないけれども、シナという語を使うことは決して間違ってはいない。蔑称でも何でもなく普通に使われていた言葉で、例えば大学の学科名でもかつては支那文学科という名称が使われていたりして、こういうところに蔑称が使われる筈がないのは明白なことだろう。
 さて問題は、こういう中国の正当性のない批判に対して、当の石原慎太郎以外の政治家や政府がきちんと反論しないことだ。民主党の細野豪志にいたっては無知ゆえか中国の機嫌取りのためか、シナという語の使用を問題視する始末である。
 差別しているわけでもないのに差別だと批判すること自体、差別に他ならない。つまり中国は不当に石原を、ひいては日本を差別しているわけで、そのことを日本としては問題視しなくてはならないのだ。
 かつて普通に使われていた外人という言葉が差別的だと問題視され、今ではテレビ等でもあまり使われなくなった。これも訳の分からない問題視である。言葉を省略するのは蔑称でも何でもなく、中華人民共和国を中国と呼ぶようなものだ。それが外人を害人となぞらえられたためか、外人の語そのものが差別語であるかのように定着してしまった。日本では外国人を害人だと差別しているんですよ、と日本を貶めるための宣伝をしていた勢力の結果のように思える。
 尖閣や竹島の問題でも中韓は日本が不当に領土を侵略しようとしているように主張しているが、上記のようなシナや外人の問題と同根なのである。
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ネトウヨ・カルト・洗脳・慰安婦・南京 [社会]

 ネット上ではいろんな思想的な、もしくは思想という範疇に入らないものも含めた立場での文章が見られるものだが、なぜか保守的愛国的な表明はネトウヨという名称が用いられて蔑まれたりしている。
 それはいわゆる右翼的な言説を忌み嫌う側からなされるものだから、その側の人たちにとっては相手を罵倒するつもりでネトウヨなる言葉を用いているのだろうけれども、客観的に見れば左側にいる人が右側にいる人を「あなたは右側にいる人ですね」と指摘しているだけのことだ。けれどもなぜか「ネトウヨ」は批判的なレッテルである。
 たまに左翼的な言説に対して「ネトサヨ」という言葉で批判することもあるが、おそらく使用頻度からすれば圧倒的に少数だろう。つまり保守的愛国的な立場は批判されるべきだというレッテル貼りが根強いわけで、こういった思い込み的な名称をなんら吟味することなくネトウヨを問題視する知識人がいるのはまったく困ったことである。
 似たような事例は他にもある。某女性芸人の問題に関して、カルトやら洗脳やらといった用語が当たり前のように使われていることだ。
 カルトはネトウヨと同じく、一方の立場の側が、価値観の異なる相手を罵倒するための名称である。保守的なキリスト教徒が他の宗教を宗教の名に値しない低俗な「カルト」と決めつけたりしていたわけで、客観的な定義を持つ用語としては使いづらいものである。
 洗脳という言葉にしても、あの女芸人の場合は、違法的な拉致監禁や投薬がなされたわけではない以上、程度は重いかもしれないが「信奉者」にすぎない。あくまでも括弧付きの「カルト」や「洗脳」である筈なのに、マスコミの報道では当たり前のようにそれらの言葉が舞っている。
 マスコミ報道では決めつけや思い込みばかりで、その実際の意味するところの検証がないままでの垂れ流しなことは、いわゆる慰安婦問題や南京虐殺やらも同様である。
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いわゆる慰安婦問題 [社会]

 体を売ることを仕事とする女性は当時、日本にも朝鮮半島にも普通に存在していた。
 そしてまた軍人に肉体的な享楽を提供する女性の存在は、当時の軍隊では珍しくなかった。
 当然、わざわざ海の向こうから女性を攫って来て慰安婦に仕立てる必要性も合理性もない。
 料理人が必要なときには素人を連行して調理を教え込むより、プロの料理人を雇えばいいというだけのことだ。その道のプロを雇えば簡単に済むし、たとえプロでなくても普通に募集して集まった女性たちを採用してもいい。実際、「公募」の物的証拠はあるが、「強要」の物的証拠はない。
 軍人に体を供する仕事の日本人や朝鮮人の女性がいたのは事実だろう。それが本人の意に添うものであったかそうでなかったかについては、それぞれの当時の事情によるもので、もはや軍隊の責任ではない。
 ただそれだけのことだ。あとは戦後数十年もたっていろんな打算やら目論見やら欲望やらが渦巻き、わけのわからない虚構が生み出され利用されているという、醜くも哀しい「問題」が問題視されているということである。
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