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サ入れとラ抜きと外人 [国語]

 某若手アナウンサーが、祝電を「読まさせて」もらいます、と言っていた。
 歌わさせて頂きます、とか、次に行かさせて貰います、という誤った表現は毎日のように垂れ流されている。学のないタレントならともかく、正確な日本語を操らなければならないアナウンサーとしては、まったく情けない話だろう。もちろん、読ませて、歌わせて、行かせて、であり、サ入れ表現に気をつけるべきことはアナウンサーとして基本中の基本だろうからだ。
 定着しつつあるようなラ抜き表現でさえ、話者の言葉が画面に打ち出される際には、正しくラが付け加えられている。ラ抜き表現を容認する意見が多くとも、少なくとも今のところはメディアにおいて正しいとはされていない。サ入れもラ抜きもアナウンサーなら使うべきではない。
 なお以前にも書いたことだが、話者が外人という言葉を使ったとき、テロップでは必ず外国人と訂正されている。メディアは外人の語を使いたくないらしい。おそらくこの言葉を差別語のように認識しているからだろうが、そのような認識は間違いである。外人は外国人からの単なる略語で、外国為替を外為というようなものだ。個人的には、日本人は外国人を害人と言って差別しているのだという悪評を触れ回った勢力があったのだろうと思っている。

タグ:外人
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エビスとヱビス [国語]

 ビールの銘柄でも知られる「エビス」は、戎・夷・蛭子・恵比須・恵比寿、などと様々に表記される。理由を「ヒルのコ」と書く蛭子についてだけ説明すると、日本神話に登場する「ヒルコ」が後の世に漁業神のエビスと同一視されたため、蛭子と書いてエビスと読むようになったからである。
 さて、ビールのエビスは、正しくは「ヱビス」と書く。横文字も EBISU ではなく、YEBISU である。そして漢字表記では恵比寿で、これに由来した渋谷区の地名も恵比寿となっている。
 ところが、厳密に言うなら、ヱビス・YEBISU・恵比寿といった表記は間違っている。なぜなら本来のエビスの「エ」は、まさにエであって、ヱではないからだ。そして「恵」は本来的に「ゑ・ヱ」と読む漢字だから、この恵をエビスという言葉に充てるのは間違いなのである。
 とはいっても、江戸時代には「え」と「ゑ」の区別はいい加減になっており、ゆえに恵比寿という表記も生まれているため、それを今さら間違いと判断することはない。
 言葉は時代によって変化するものだから、一所懸命が一生懸命と変化したことをもって後者を間違いと決めつける必要はないことと同様に、恵比寿の表記も一方的に間違いとは言えない。しかし言葉の変化に無頓着であってはならず、本来はこうで、それがこのように変化し、今はこうなっている、といった知識をわきまえるのは大事なことだ。そういった知識や歴史を教え、また教わったり自分で調べたりしてわきまえることが、大袈裟に言えば文化の継承と発展の基礎であり、無頓着ゆえの変化は単なる堕落といえるだろう。

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夏を詠みたる歌三首 [国語]


死番虫てふ名の虫のあまた湧く終の棲家となりにけるかも

はたとせも昔のことぞ思はるる 有り得た夏の恋しかりけり

パンツよりにょきにょき伸びたる生足の夏の女は悩ましきかな


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消えゆく思い [国語]

 風になびく富士の煙の空にきえて行方も知らぬ我が思ひかな

 西行法師の有名な歌だ。富士山が噴火するかどうかなどと取り沙汰されている昨今だが、それはまあ今回は関係ない。
 この歌を今の自分がしみじみと思うのは、やはり「行方も知らぬ我が思ひ」というものについてだ。
 西行の場合は仏教的な雑念とか無常とかで解釈されるけれども、とりあえず自分に引き寄せるならば、単に、自分の中だけのこの思いは、現実化することなく、誰にも知られることなく、自分とともに消え去ってしまう悲しい運命なのかと嘆くことと結びつく。

 届くことなき思ひのみ抱きつつわが身と魂と今ぞ消えゆく

 やっぱり自作の歌は味気ない。もっと「届くことなき思ひ」の哀しみを読み込められたらいいのだが。
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完璧と完壁 [国語]

 改めて言うまでもなく、パソコン・ワープロは普及し、至るところで活用されている。
 もはや手書きで原稿を書くなんて恐ろしく手間のかかることはできない、というところまできている。本当はこんなことでは駄目なんだよなあとは思うのだが、本題から逸れるのでその弊害等について指摘するのは止めておく。
 今ここに書きたいのは、先日、ちょっと驚くものを目にしたことだ。あるテレビ番組で、テロップに「完璧」という言葉を出すところが、「完壁」となっていたのである。完璧と完壁。もはや古典的ともいえる間違いの例だろう。加藤守雄の『わが師 折口信夫』の中に、璧を壁だと思い違いして折口から過ちを指摘される話があるが、少し前に流行った「日本語表現間違い探し」問題でも出題されないくらい定番の間違いである。
 驚いたというのは、ワープロを使わずにテロップが作成されたのか、いやいや機械を用いずにどうやって作成しているんだ?と不思議に思ったからだ。今のワープロで「かんぺき」と打てば、必ず「完璧」と変換される筈だ。あるいは使用していたワープロに何故か「完壁」という単語が登録されたか学習されたかしていて、そのように変換されたのかもしれないが、完壁と出たその文字を見ても間違いだと気づかなかったのなら、それは知識の上での間違いでもあることになる。
 そしてさらに驚いたのは、その完壁の文字のテロップが、画面の三分の一ほどの大きな文字で出ていたことだ。下準備は若い下っ端だろうが、チェックするはずのディレクターがそれを見逃していたということになる。
 まあテレビというものはチンピラのようないい加減な連中が作っていることは、身を持って知っているから、驚くには値しないといえば、そうかもしれないけれども。
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とんでもございません [国語]

 先日知ったことだが、文化庁では「とんでもございません」という表現を容認しているらしい。
 そしてその理由は、多くの日本人が「とんでもございません」という表現を違和感なく用いているから、ということだという。
 なんという無責任な判断だろう。「みっともない」を「みっともございません」と言ったり、「もったいない」を「もったいございません」というような誤用だと広く知らしめればいいというだけのことではないか。皆が使っているから良いことにしましょうと世間の趨勢をそのまま認めるのでは、言葉はますます崩れていくばかりである。
 自分は、これが間違った表現だと知ってからは使わなくなったし、使っているのを聞く度に、ああ間違っているなと気になっている。どうして間違っているなら間違っていると国は「教育」をしないのか。間違っていることを間違っていると指摘するだけでいいのだ。それでも誤用が広まるのなら、その時点で言葉の変化だと認めればいい。
 ら抜き言葉でもそうだった。これに関しては、若くもないがそんなに年寄りでもない自分は、はじめからとてつもなく違和感を覚えていた。「ら」という言葉をひとつ加えるだけでいいものを、容認されたせいかどうかは知らないが野放図に広がっている感がある。間違ってますから気をつけましょうと強制的でなくともちょっとしたキャンペーンでもやれば、少しは表現を気にする人も増えたと思えるのだが。
 さ入れ表現は文化庁的にどうなのかは知らないが、これも今のところ野放図だ。間違いだと指摘されないから間違った表現が再生産され続けているのだろう。
 言葉はもちろん時代とともに変化する。誤用が一般化した例はいくらでもある。しかし多様な変化の要因がある現代では、ある程度は言葉の保持という努力が必要ではないか。そうした上での変化なら仕方ないが、保持の努力を放棄した中での変化は、単なる堕落である。
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せいぜい頑張って [国語]

「せいぜい(精々)」に精一杯、力の限りといった意味があることを知らずに福田首相を叩いていたマスコミにも、石原都知事にも驚いたが、今でもテレビでオリンピックを振り返っての特集の中でこの発言を失言であるかのように取り上げているのには呆れた。国語力低下は若い世代に限ったことではないのだ。
「せっかく(折角)」という副詞は、ほとんどの日本人は「せっかく~したのに残念だ」といった形で、努力が報われなかったことを惜しむときに使っている。しかし、この「せっかく」にはそんな否定的な意味ではなく、「せっかく努力しなさい」といった一層の力を尽くすという意味もある。
 後者のような使い方をした場合、無知な輩から国語力を嘲笑されたりするのだろうな。せめて報道に関わる人間なら、他人を批判する前にとりあえず辞典で調べるくらいはしてくれ。
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今のところ唯一のコメントに対するコメント [国語]

 無視するつもりが、他にネタもないので取り上げてみよう。

 以前、朝日新聞のサイトに、【「進出」書き換え問題 中韓抗議で謝罪、安倍氏「誤り」】といった見出しがあって、
〝これを最初見たとき、日本の歴史教科書で侵略を進出と書き換えたことに対して中韓が抗議し、それに安倍氏が「誤り」だと謝罪した、と読めた。(略)上記のような誤解を生じさせる見出しは、…〟
 といったことをこのブログに書いた。すると、次のようなコメントが来た。
〝そうですか?(略)、中韓(が日本側に)抗議で(日本側)謝罪、安倍氏(曰く)「(日本の謝罪は)誤り」とは読み解けませんか〟
 わざわざコメントを書き込むくらいだからこちらが書いた内容を斜め読みしているとも思えず、呆気にとられた。だが、某巨大掲示板を見ていればこの程度の無理解は珍しくもないと思い、放っておいた。
 こういった無理解が仕方のない年齢か、歳はいっても単に理解力がないだけか、それとも集中しにくいネット上の文章の問題かは判断のしようはないけれど、いずれにしても国語力は大切だなあと思った次第である。


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考えまひした。 [国語]

 朝日新聞のネット版を見ていたら、主要ニュースの見出しに、
 「姉歯被告「考えまひした」 耐震偽装公判、本人質問」
 とあって、打ち間違いしているのかと思った。「考えました」に「ひ」が余計に入ってしまったかと思ったのだ。ややあって「麻痺した」と気づいた。
 当用漢字・常用漢字といった制限を加えることで日本語が読みやすくなるという考えは、今さらながら、大間違いだ。新聞以外では普通に目にし、ワープロでも当たり前のように変換される麻痺という言葉が平仮名にされると、上記の文のようにかえって分かりにくくなる。
 明治以降の、西洋かぶれの馬鹿な知識人が日本文化を破壊する愚行は、未だに解消されることがないのである。


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よまい続く奇怪な現象 [国語]

 先日放送された映画『怪談新耳袋 劇場版』を観ていたら、毎日夜になると何者かに首を絞められる体験をする登場人物(高岡早紀)のモノローグの中に、「よまい続く奇怪な現象について~」とあった。
 その前後の台詞でも、不思議な現象が連夜おこっていることについて繰り返し語っているので、「よまい」というのは夜毎、つまり「よごと」の間違いだろうと思う。とりあえず手元の辞典に「よまい」という言葉は載っていない。
 こちらの聞き間違いでなく、また「よまい」という読みやそういう表現がないのだとしたら、映画という多くのチェックが入る筈の作品なのに、誰も気付かなかったのだろうか。


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