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体罰問題を語る虚しさ [教育]

 何かを論じたり評したりする立場の人は、だいたいにおいて知識人である。そして世に知識人と呼ばれている人の多くは、子供の頃から成績が良く、良い学校を出ている。
 本当に芯から頭がおかしいと思えるような不良に接する機会も少なく生きてきた彼らに、通常かそれ以上に品の良い教育以外のことを語るのは無理だろう。言葉や誠意や愛情だけではまったく理解し合えないような連中との接し方など、あまり知らない筈だからである。
 まったく救いようがないような犯罪者がいつの世にもいて、それらの予備軍も常に存在していることからすれば、殴っておとなしくさせるしかないような人間がいることに目を瞑ることはできない。
 あらゆる体罰を否定する者は、どうしようもない凶悪犯罪者を射殺するような行為どころか、犯罪者を拘束して罰を与えることすら否定しなければならないのではないか。純真な子供がいきなり凶悪な大人に変貌するわけではないのである。
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モンスターペアレント [教育]

 子供向けの漫画やアニメには、「仲間を信じる」というテーマがよく描かれている。たとえその仲間に責められるべき点があっても、主人公は盲目的に仲間を信じ、波乱はあっても結果的に信じたことがハッピーエンドにつながる。
 この信じるという行為は仲間に向けられるものであって、もちろん「敵」には向けられない。仲間を信じることで結束がより深まっていく美談として描かれる。
 どんな犯罪を犯そうとも、うちの子は悪くない、悪いのは他者なのだと弁護する親は、そんな物語を真に受けているような気がする。漫画やアニメの予定調和の単純な「愛」「友情」「結束」「正義」は、そのまま現実に投影させることは不可能な作り物の理念なのに、現実だと思ってしまう世代が親となっている今、社会や学校を困惑させる狂った親たちが増大しているのではないか。


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見えない悪意 [教育]

 ふて腐れた態度を晒した女タレントや糞生意気な言動と反則行為で問題になっているボクサーについて、まだ子供なんだからあまり文句を言うなといった意見をたまに耳にするが、これはまったくの間違い。
 子供だからこそ何が良くて何が悪いのかをはっきりと教えてやれ。でなければ勘違いしたまま増長した大人になってしまい、こうなってはなかなか修正が利かなくなる。そもそも社会に出て働いているのだから、社会のルールは教えるべきだろう。
 まあ周囲の大人が子供をうまく指導することができなかった結果だ。軽薄なマスコミどもに批判されることよりも、より身近な大人による教育が必要だが、ああいう世界では狡猾な知恵を教えてその場をしのごうとする間違った教育がなされるのだろうな。反則ボクサーの親父はあからさまにそう見える。
 たとえ煙たがられ嫌われようが子供におもねることなく指導ができる大人が、一般社会にも教育界にも少なくなっている。優しく物分かりの良い社会は厳しい指導の必要でない優秀な人間にとっては心地よいが、そうでない人間には反省や成長の機会をもたらさない、いわば悪意に満ちた社会に等しい。


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他人の生きる道 [教育]

 かつて紳助は相方の竜介の死に際して、自分が漫才の道に誘ったことが竜介の人生を狂わせたんじゃないか、と嘆いていた。
 通常の精神状態でないことはわかるが、人を慮るようでいて、あまりにも傲慢な考え方だと思う。それでは竜介が自分の人生を歩んでいない愚か者だと、高みから断罪しているようなものだ。
 ある大学教授は大学院を受験しにきた優秀な人物を、君はこんな大学に来るべきではないといって、合格点だったにもかかわらず、落とした。
 どんな道を進もうと、それはその人の人生だ。人はどんな人生を送ろうとも、自分の人生を歩んでいる。いくら優れた芸人であろうと研究者であろうと、人として間違った道でない限りは、他人の歩む人生を否定したり阻害してはならない。まったく何様のつもりかと思う。
 うまくいかなかった人生が、必ずしも間違った選択の結果だとはいえない。間違いだったか正しかったかなんて神様にしかわからないのだ。


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教育と自殺 [教育]

 世の中は善人ばかりではない。そして、それは教育の結果だとは断定できない。完全無欠な教育ができたとして悪人が育たないとは限らないし、そもそも他の分野と同様に完全なる教育なぞ存在しない。
 であるならば、苛められる側の人間が安易に自殺しないようにする努力がまず必要となってくる。人は皆があらゆる点で平等に生まれているわけではなく、障害や苦悩は人生につきもので、それを克服して生きていくのが当たり前に人間に課せられた宿命なのだと教えるべきだろう。
 弱者に手を差し伸べることは大事だが、だからといって自分の苦悩を誰かが救ってくれるとは限らない。むしろ自分が戦わなければ何も変わらないことの方が多い。そしてまた、直面している苦悩の多くは、長い目で見れば一時的なものに過ぎないことも。
 さらに言えば、死んだところで苦しみから逃げることはできないのかもしれないということも重要だ。死ねばこの苦しんでいる精神も消滅するとは、誰にも断言できない。更なる苦しみが待ち受けているかもしれないのである。


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教育者の自殺 [教育]

 死者を批判するのは気が引けるが、命の尊さを教える立場の人間が自殺しちゃ駄目だ。子供たちの前に立つべき教育者がそんな範を示してどうするんだ。せめて教育者としての肩書きを外してからにしろ。
 もちろん自殺を選択するような精神状態の人間にそんな当たり前の理屈は通じないし、教育の自覚を持っていない教育者や教育学者が多いのも身に沁みて分かっている。いろんな意味で哀しい話だ。


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必修科目不履修問題 [教育]

 以前にも書いたが、高校生の頃、日本より世界のことを知ることが大事だと青臭く考えてしまって、結局、日本史を一度も履修しなかった。
 大学では西洋哲学を勉強したが、隔靴掻痒というか、なんともピンと来ない。やがてそれは西洋人でもクリスチャンでもない自分が肝心の自分自身、足元の世界を知らなくて余所様の世界を知ろうとしている愚だと気づき、日本人でありながらよく自覚されていない日本と日本人の文化や思想について知りたいと思った。
 それで大学院に入ってそういう方面の研究をしたのだが、院受験に際しても後の研究に際しても、日本史に関する知識が少ないことに、大いに苦労した。何せ初めの頃は、平安と奈良はどっちが古いのか考えなければ分からないという低レベルだ。いまだに苦労している。
 人生、どう動くかわからない。可能性を狭めるような教育は教育ではない。高校までは強制的にいろんな分野を学ばせるべきだとさえ思う。幼いうちから得意分野ばかり伸ばすような偏った教育もするべきではないと思っている。


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教育と二極化 [教育]

 どんな教育改革を施そうとも日教組が存在する限り期待はできないのだが、それ以外に、目に見えない大きな障害が教育問題には立ちはだかっている。
 それは現代の倫理観、現代社会的風潮としか言えないもので、それによって人々の二極化はますます進んでいる。自覚のある者のみ成長の道を進んでいき、そうでない者は捨てられたも同然となっているのである。これは強者による弱者の切り捨てということではない。成長のためには時として必要な厳しさを遂行できない、現代社会的風潮によってがんじがらめにされた教育現場や家庭や社会が生み出しているのだ。
 ゆとり教育とやらに流された人たちとそうでない人たちの二極化もあって、日本の社会はさらに分断されていく。それが結果的に良いことなのか悪いことなのか、なんとも判断のしようはないけれども。


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日本人ってものは [教育]

 日本人は何でも型に嵌めたがる、日本人は本音と建前が違う、といった、日本(人)には○○といった嫌なところがある、といった批評は、たいていが他の国民にも当てはまる。
 これも自虐史観の影響が大きいのだろうな。もちろん島国であることや謙譲の美徳といったものの現れでもあるのだろうけれど。


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頭が良いことの第一条件 [教育]

 例えば結婚式に招かれたとき、新郎新婦より派手な衣裳を着ていくのは礼儀に反する。葬式に参列したとき、喪服でない派手な服装をしたら、常識を疑われる。そんなことは分かり切っているのに、「最近は七五三詣での子供に束帯姿をさせる親がいて、神職も不愉快に思うらしい」という話をしたら、ある東大系研究者は、「どんな服装をするのも自由ではないか?」と反撥した。
 もしこれが神社の現場での話でなかったら、その人も「自由だ」という反論はしなかっただろう。結婚式や葬式の例を挙げると、その人は口を閉ざした。
 学歴から見て頭が良いということと、偏見から自由であることとは、あまり関係はないらしい。したがって、いくら高学歴の頭の良い人間が国やらマスコミやら経済やらを動かしても、社会から偏見がなくなることはない。本当は偏見から自由であることが、頭が良いことの第一条件でなくてはならないと思うけれども。


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