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テレビのお約束 [雑感]

 少し前のことだが、ある番組で正しい日本語の表現について取り上げられ、「役不足」とか「確信犯」とかの正しい意味を解説していた。今さらながらだと感じていたのだが、街頭での調査では多くの人が間違えた解答をしていた。もちろん番組作りのために間違えた人の映像を選んで流しているとしても、かつての正しい日本語ブームはいったい何だったのかと呆れた。
 そんな中、「号泣」の意味は「歯を食いしばって泣く」ではなく、「大声を上げて泣く」という意味だといった説明もあった。
 そのコーナーが終わってCMに入った。番宣だったのだが、画面はあるタレントか涙を流し、その涙を手で押さえているというもので、テロップには「○○○○○が大号泣」とある。
 号泣どころか、さらに大がついての大号泣だから、それはもう狂ったように泣き叫んでいる筈なのだが、少なくとも紹介されている画面でのタレントは口は閉じたまま、一筋の涙がすっと流れているだけであった。
 いくら日本語の正しい意味はこうですよと言っても、他の場面で間違った表現を平気で使っていては駄目だろう。こういう批判をすれば、大袈裟にするのがテレビのお約束、などと反論されるかもしれない。しかしそんなお約束など勝手なご都合主義であり、そんなメディアに対しては、もはや信頼性を持つことは到底できないのである。

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名簿業者へ [雑感]

 人の精神状態は常に一定というわけではない。当然のことだ。したがって、いつもは気にしないことであっても、時として不意に衝撃を受けてしまうこともある。

 名簿業者も名簿を購入して商売に用いる会社も、真っ当な業務だとはまったく思わないが、それらの業務の存在を多少は受け入れてもいいから、ひとつだけ配慮して貰いたいことがある。
 名簿には名前と電話番号の他に、独身か既婚かという項目を添えて欲しい。
 至極当然のように、「奥様はご在宅でしょうか?」と問われても、こちらの状況をいちいち説明する義務はないから黙って切るか、乱暴に叩き切るしかない。場合によってはこちらの名と番号をどうやって入手したのかとねちねち聞いた挙げ句にその無礼さを詰ることもあるが、そんな余裕と元気があるときばかりではない。たいていは黙って叩き切る。
 そして、ごく稀に、どうしようもない悲哀に襲われる。これは暴力だ。
 まったく見ず知らずの赤の他人から唐突に差し向けられる暴力である。
 妻はまだ霊安室から戻っていません、とか、昨年実家に帰ったきり戻ってきませんのでそちらの番号をお教えしましょうか、などと言って相手がとう反応するか楽しむ余裕があればいいのだが、もちろんないから腹立たしさと悲哀を抱えるしかない。
 だからせめて、独身用と既婚用の名簿に分けて、それに応じた会社に売るとか、そういった配慮をしてくれることを切に望む。

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180万年前の日本 [宗教]

 シュメール王名表なるものに、古代メソポタミアの伝説的な王の名と在位期間が記されている。人類最初の王とされるエリドゥ王アルリムから以下の数代を、ウィキペディアから引いてみると、
 エリドゥ王アルリム、在位28800年間。
 エリドゥ王アラルガル、在位36000年間。
 バド・ティビラ王エンメンルアンナ、在位43200年間。
 バド・ティビラ王エンメンガルアンナ、在位28800年間。
などとあって、一人の王でとてつもない期間を統治していたことになっている。もちろんこれらの年代についてはあくまでも伝説としか捉えようがないものなのだが、似たような記録はこの日本にも残されている。超歴史の文献としてよく引き合いに出される「竹内文書」などという怪しげなものではなく、日本最初の公式な正史、『日本書紀』のことだ。
 神武天皇の即位前紀に、天皇が「天祖の降跡りましてより以逮、今に一百七十九萬二千四百七十餘歳」と語る場面があって、つまり瓊瓊杵尊が地上に降臨したのは今から1792470年ほど前のことだ、というのである。
 この年数が何を意味しているのかはよくわかっていない。本来は『日本書紀』にこのような記述はなかったものを、いつしか誰かの書き込みが反映されて本文のように書き写されてしまったのだともいわれるが、本当のところはわからない。
 そして、この百七十九万年という途轍もない年代は、鎌倉時代に編纂されたと推定される伊勢神宮外宮の文献に、更に具体的に記述されることになる。すなわち『倭姫命世記』によれば、
 瓊瓊杵尊、318543年間。
 火火出見尊、637892年間。
 鵜草葺不合尊、836042年間。
といった治世期間が主張されているのである。
 これは『日本書紀』の百七十九万年余という年数を三代に振り分けたのだと思われるが、それぞれの数字に意味があるのかどうかも、やはり不明である。
 現在に直接つながる古代世界のはじまりを太古の昔に想定するのは、神や英雄の神秘性を深め称える心理として地域に関わらず共通しているのかもしれない。それにしても、アフリカを出て各地に広がっていったホモ・エレクトスという最初の原人の出現が百八十万年ほど前であり、その数字と天孫降臨の時期が一致するのは、面白い偶然といえよう。

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サ入れとラ抜きと外人 [国語]

 某若手アナウンサーが、祝電を「読まさせて」もらいます、と言っていた。
 歌わさせて頂きます、とか、次に行かさせて貰います、という誤った表現は毎日のように垂れ流されている。学のないタレントならともかく、正確な日本語を操らなければならないアナウンサーとしては、まったく情けない話だろう。もちろん、読ませて、歌わせて、行かせて、であり、サ入れ表現に気をつけるべきことはアナウンサーとして基本中の基本だろうからだ。
 定着しつつあるようなラ抜き表現でさえ、話者の言葉が画面に打ち出される際には、正しくラが付け加えられている。ラ抜き表現を容認する意見が多くとも、少なくとも今のところはメディアにおいて正しいとはされていない。サ入れもラ抜きもアナウンサーなら使うべきではない。
 なお以前にも書いたことだが、話者が外人という言葉を使ったとき、テロップでは必ず外国人と訂正されている。メディアは外人の語を使いたくないらしい。おそらくこの言葉を差別語のように認識しているからだろうが、そのような認識は間違いである。外人は外国人からの単なる略語で、外国為替を外為というようなものだ。個人的には、日本人は外国人を害人と言って差別しているのだという悪評を触れ回った勢力があったのだろうと思っている。

タグ:外人
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エビスとヱビス [国語]

 ビールの銘柄でも知られる「エビス」は、戎・夷・蛭子・恵比須・恵比寿、などと様々に表記される。理由を「ヒルのコ」と書く蛭子についてだけ説明すると、日本神話に登場する「ヒルコ」が後の世に漁業神のエビスと同一視されたため、蛭子と書いてエビスと読むようになったからである。
 さて、ビールのエビスは、正しくは「ヱビス」と書く。横文字も EBISU ではなく、YEBISU である。そして漢字表記では恵比寿で、これに由来した渋谷区の地名も恵比寿となっている。
 ところが、厳密に言うなら、ヱビス・YEBISU・恵比寿といった表記は間違っている。なぜなら本来のエビスの「エ」は、まさにエであって、ヱではないからだ。そして「恵」は本来的に「ゑ・ヱ」と読む漢字だから、この恵をエビスという言葉に充てるのは間違いなのである。
 とはいっても、江戸時代には「え」と「ゑ」の区別はいい加減になっており、ゆえに恵比寿という表記も生まれているため、それを今さら間違いと判断することはない。
 言葉は時代によって変化するものだから、一所懸命が一生懸命と変化したことをもって後者を間違いと決めつける必要はないことと同様に、恵比寿の表記も一方的に間違いとは言えない。しかし言葉の変化に無頓着であってはならず、本来はこうで、それがこのように変化し、今はこうなっている、といった知識をわきまえるのは大事なことだ。そういった知識や歴史を教え、また教わったり自分で調べたりしてわきまえることが、大袈裟に言えば文化の継承と発展の基礎であり、無頓着ゆえの変化は単なる堕落といえるだろう。

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