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駄目な生き方 [雑感]

 若い頃は立身出世とか、裕福な暮らしがしたいといった願望があまりなかった。そういったことを望むのは下品で浅ましいことだとする意識を強く持っていたからだ。その感覚が甚だしくなった挙げ句、自分の将来の姿を肯定的にホームレスと見定めていたりした。
 人は物欲なんてものに振り回されず、精神的な何かを追い求めるべきである。そんな人生観を心の内では崇高で格好いいもののように感じていた。
 だが、そんな人生観は間違いだ。
 人生をどのように生きるかについて良し悪しなどない、他人からどう判断されようとも犯罪性や反社会性に傾斜しない限り、どのような生き方でもいいのだと考えるのが基本的なスタンスなのだが、最近は上記のような生き方を間違いだとすべきではないかと思う。
 一生困ることのないほどの財産を引き継いでいるという人なら、それでいいかもしれない。あるいは財産がなくとも、若い頃ならまたそれでいいかもしれない。どんな考えを持っていようと、ある程度は親と社会に庇護されている。揺り籠の中で勝手な妄想に浸ることができる。
 しかし、本当に精神が破綻して、垢と糞尿に塗れた姿で路上に生活することに何の抵抗もなくなってしまえば、もはや問題はないが、そうでなければ、こんな生き方では歳を取るにつれて最低限の生活を維持することすらできなくなってしまう。よほど要領よくやらないと、バイトは体力があって顎で使える若い奴が求められやすいからだ。
 しかも加えて自分の場合、裕福になりたい意識を下品と感じるだけでなく、妙にプライドが高いところもあるため、理不尽な指示でも我慢して仕事にしがみつくということができない。この二つが相まって、人は金のみに生きるにあらず、という態度についついなってしまう。さらにまた、大学院なんてところを出ているため、すでに二十代後半から、院卒の人は使いにくいからという理由でバイトを断られたりしている。
 大学院に行きながら研究者としての仕事を得られなかったのも、業績を積み上げることに必死になったり、有力な教授に媚びへつらったりすることを下品と感じていたのが理由のひとつだ(才能がないだけでなく、別の理由もあるが、人物特定されてしまうからそれは書かない)。
 得体の知れない何か精神的なものを追い求め、経済的な面を蔑ろにして自身と周囲の人たちを不幸にしてしまうよりも、金や地位を獲得する生き方のほうが良いと今では思う。溜め込むことだけに執着してしまっては意味がないが、そこまで病的でなければ、財産を使って解決できることは少なからず周囲にある。知識や技術を身に付ける、病気になったときに治療をする、年老いた親の面倒を見る、などなど、精神的なもののみに関心があった人間には難しいことばかりだ。
 この地上で生きていくための最低限の覚悟と作法を無視した報いといえよう。

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