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被害者面 [報道]

 ネット上に、テレビはなぜネットのデマに躍らされるのか、というタイトルのニュース記事があった。
 しかし、もはや捏造の元凶をネットに押しつける構図そのものには説得力がない。騙されるテレビ側の無能さについての指摘は正しいが、ネットの悪とテレビの正義という前提が垣間見えるのは、やはり未だにテレビに対する信頼を疑っていないからで、悪意や無能の存在はネットでもテレビでも同じである。テレビのデマに躍らされているネット記事はいくらでもある。
 テレビ側の無能については実体験として承知している。詳しくは書けないが、一昔前の渋谷のチーマー然とした風体のディレクターに、いい加減なネット情報をあたかも自分の専門的な知識のようにカメラ前で話すよう要請されたことがあった。その際に知った制作者側のどうしようもない知性や品性に、ほとほと呆れかえってしまい、それ以来、かの番組を観ることはなくなった。
 先日、某番組のテロップで、「殉じる」とすべきところを「準じる」と出しているのを見た。それは出演者が語っている言葉だったが、本人に確認することもしていないわけだ。ADが打ち出したであろう文字をDが確認しなかったか、しても間違いと理解できなかったらしい。
 雑誌書籍などで誤植が出るのは編集者にとって恥ずべき事だが、テレビ屋にとってはそれほどでもないから、文字の確認作業は定着していないのだろう。映像と音にこだわっても、文字には無頓着では、いくらテレビとはいえ伝えることの基本がなっていない。所詮、その程度のメディアに過ぎないことは、最近はよく知られるようになったと思われるが、周知されるという程になるのはいつのことだろうか。

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肯定するものではありません [報道]

 心霊ものやUFO関連の動画を扱ったテレビ番組では、「心霊現象を肯定するものではありません」といったテロップが最近はつけられるようになっている。
 CMでも、トリックや非現実的なシーンの場合、「CM上の演出です」という説明文がわざわざ表示される。わかりきったことだがなあと白けてしまうが、そうしないと文句が寄せられたりするのだろう。
 しかし心霊系の番組の場合、世の中には霊能者や祈祷師として生計を立てている者もいるわけで、番組は彼らの立場を、はっきりと否定はしていないとしても、肯定はしていないわけだ。まあ、公共の機関としてはいたしかたないことかもしれない。
 が、「肯定するわけではない」ことを主張するのは、彼らの思想信条の自由を侵害するとまでは言わないとしても、なにやら胡散臭いものですよと決めつけていることになるのではないか。世の中には霊能者の類の者を詐欺師としか見ていない人も多く、確かに胡散臭い自称霊能者もいるとはいえ犯罪者でない限り、肯定はしませんよといちいち公共機関から評価される筋合いもないような気がする。
 パワースポットブームとやらであちこちの神社のご利益が紹介されても、別に「神霊の存在を肯定するものではありません」とか「ご利益を肯定するものではありません」などとは出ないのは、相手が宗教法人だからで、歴史や組織の有無が問題なのだろう。
 一方で、より公正でなければならない報道において、根拠のない野党側の言い分による疑惑ばかりたれ流すことは大いに批判されるべき事で、もちろん「疑惑を肯定するものではありません」と表示したとしても許されることではないわけだが。

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偏向批判 [報道]

 改造内閣について「お友達内閣という批判をかわす目的か」などという論評が、いくつかの局で同じようになされているのを見た。
 これが野党側による論評なら、理解できなくもない。とかく野党は与党の為すことについては批判的な言辞しか吐かないからだ。しかしこれが野党でもなく、また自民党に批判的な評論家でもなく、普通のニュースにおいて局のアナウンサーがこのようなことの書かれた原稿を読み上げるとなっては、いたく違和感を覚えざるを得ない。
 なぜなら、これまでの内閣がお友達内閣と批判されるべきものであることを正当とした前提となっているからで、こういう点においても、ニュース報道が公正性を離れ、野党側に偏した姿勢であることを示しているものといえよう。
 そもそも内閣のトップが、自身の理想とする組閣を検討する際に、気心の知れた人物を集めるのは当たり前ではないか。お友達云々という批判は実質的には批判たり得ていなくとも、なにやら批判的に発言されると、あたかも的を射た批判であるかのように一定の評価を持ち始めるのは、一連の森友とか加計とかの疑惑と称されるものにおける安倍批判と同類であろう。
 ところで、森友学園側が寄付でないものを寄付と偽造していたことが明確となったことに対し、総理側からの寄付があったとする疑惑(犯罪でもないのに疑惑と呼ぶのは野党マスコミ連合側の嘘だが、便宜上使っておく)を連呼していた連中は、何か言うことはないのか。

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参拝の仕方 [宗教]

 某神社の宮司が、参拝に際しては目を閉じて願い事をするのではなく、目を開けてするのが正しいと某テレビ番組で主張していたらしい。理由は、神職も祈祷において目を閉じることはないし、また相手を見て願い事を伝えるのが礼儀に適っているから、ということだ。
 これが神社本庁で指導されている参拝法かどうかは知らない。しかしそうだとしても、このような作法と根拠に妥当性はない。おそらくはその宮司の個人的な見解だろう。
 まず神職と参拝者を同列に考えるのがおかしい。神職は書かれた祝詞を読み上げ、所定の作法と工程をこなさなければならないから、瞑目していては務まらない。神と参拝者の中継ぎをする役割の神職を、参拝者と同じ位置づけにする必要はない。
 そしてなによりも、相手の目を見て話をするという礼儀は、あくまでも同じ立場において成立するものだ。今の世の中ではたとえ上司や先輩であっても目を見て話をするのが礼儀であろうが、それは同じ人間だからである。しかし参拝において人が対するのは神であって、決して同じ立場ではない。かつては同じ人間でも身分が違えば目どころか顔を見ることすら憚られていたわけで、それは神聖なものを直視してはならないという禁忌と同根だろう。一般に御神体がどのように奉安され、その理由が何なのか、かの宮司はよく考えてみればいい。
 宮司とか住職とかの肩書きを持っていても、たいして専門的な知識見識を有していない者は多い。問題は、そういった人物の意見を碌に調べもせずに安直にたれ流すだけの番組制作側のいい加減な姿勢にもあるわけだが。

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安倍総理叩きとUFO論争 [政治]

 題名に並べた二つの事柄は、一見すると何も関係がないように思えるが、実は面白い共通点がある。以下引用するのは某番組内での発言を要約したものである。発言者は科学ジャーナリストで、時期的に見て政治や報道に対する含みを持たせている意図はない。

(UFO情報を学術的に調査したコンドン委員会が「UFOは存在しない」と結論づけたことに、信じる側の人々は納得せずに反撥したことについて)
「科学は実験や観測のデータを使って研究するのがひとつの方法で、コンドン委員会が検討したのは、それまでに集まったたくさんのUFOの目撃情報だ。しかし目撃情報を後で検証しろといわれても、検証のしようがない。きっちりと検証しても、科学的な検証に値する事例はひとつもなかった。
『ない』ことを証明するのは悪魔の証明という。調べた結果、『こういう現象はありませんでした』といっても、もしかしたら他の条件ではその現象が成り立つかもしれないから、議論は無限に続いていく。したがって科学では『ない』ことを完全に証明することは難しい。
 ある一部の人たちは、UFOを宇宙人の乗り物であるというが、そういう人たちは自分たちでは証拠を持っていない。しかし国や軍は持っているのだから、それを出せと要求している。
 そういう人たちにとっては、『UFOが存在する』という答が出てこない限り納得しない。だからコンドン委員会がいくら真面目にレポートを出しても、必ず批判の対象になる。」

(米大統領直属でUFOの秘密機関とされるMJ-12による文書に偽造の疑いが強いことについて)
「なぜ偽造がおこなわれたのかというと、ロズウェル事件に物証はない。物証がないなら作ればいい、ということだ。呼び水みたいなもので、事件はあったのだから、誰かが本当の証拠を引きずり出してくれる、そのためには少しの嘘は許されるということで作ったのではないか。
 新たに文書が出てきても、今度こそ、という期待を持たせる。ある文書の嘘がばれても、『そこだけ嘘で、本物も混じっている』といえば、もう手が負えない。都市伝説は自己増殖して止まらない。新しい情報は肯定されがちで、簡単に騙されて洗脳されてしまう。」

 問題は、今のマスコミが率先して「UFO信者」側に立っているということだ。
 上記の発言のある番組は再放送だったのだが、その再放送の決定に、上記の発言をくんでの意思が働いていたのなら、少しはマスコミの中にもまともな人がいることが期待できるのだが。

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新聞テレビの自滅 [報道]

 今に始まったことではなく、およそ自分が直接知っている限り、ほぼ常にマスコミは自民党政権や保守的な思想や文化に批判的で、時としてひどく偏った報道ばかりしている。
 そのことを強く認識したのは昭和60年から放送されている「ニュース・ステーション」だ。コミカルでにこやかな久米宏の人気に乗って好評を博し、最初はよく観ていたものだが、やがて偏向ぶりにうんざりして観なくなった。それは古舘伊知郎になっても変わらない。
 土井たか子のもとで社会党が躍進した際、これはどの番組でもそうだったが、自民党が負けることが日本にとって望ましいことのように論じられていた。結局は社会党に権力を維持する力は無く、続いて日本新党や民主党が躍進する際もマスコミはこぞってこれら非自民の政党を後押しするが、いずれの政党も長続きする力は無かったわけだ。一党が政権を持ち続けるよりも二大政党制になった方が良いとする見解が背景にあるとしても、そもそも日本の革新系には保守と同等の勢力や人材もなければ、共通する理念もない。マスコミがよってかかって持ち上げてブームを作ってようやく、自民党に対抗できる政党がでっち上げられるが、所詮そんな党に持久力はない。
 さて、問題は、偏向報道や捏造報道をしてまで必死になって砂上の楼閣を作り出そうとするマスコミである。麻生総理に対する政治上の問題ではない点ばかりのネガティブキャンペーンを続けた結果、支持率は急速に落ちて、あの民主党政権が誕生したことは記憶に新しい。そして今回も安倍総理に対して更に徹底した偏向報道がなされているわけだが、前回と違って今回は、取って代わる政党がない。小池百合子が国政政党を作れば対抗馬になるとしても、今からではあまりにも急拵えで、都議選では自民都議の自滅により圧勝したとはいえ、国政でも同様の結果となるとは思えない。ただ単なる自民潰し安倍政権潰しがマスコミの今回の目的だろう。
 いつも不思議に思うのは、マスコミの中の人間のことである。上記のような目論見を抱いている者ばかりではない筈だからだ。多くは生活のため仕事に縛られており、上からの命令には逆らえないといっても、このまま狂った状況が繰り返されれば、もはやマスコミを含めて国が滅んでしまいかねない。滅ぶとは大袈裟に聞こえるだろうが、狂った報道が跋扈する国に健全で輝かしい未来など望めないのである。マスコミの人間もネット上の知見で偏向ぶりは了解していると思われ、知った上で甘んじて何もできないのなら、もはやこのような狂ったマスコミを外部からどうにかしなければならないのだろう。そのために何ができるかはまったく見当がつかないけれども。 
 偏向や捏造など不当な操作によって人の人生や国政などを左右するような卑劣な手段が横行するメディアでは、信頼というものが成立しない。信頼が寄せられないメディアはいずれ見離される運命しかなく、それは自死に他ならない。気に入らない政権の首を正義面して締め付けているつもりで、同時に自らの首をも絞めているのである。このような事態をマスコミの中のまともな人たちはどう考えているのだろうか。それともマスコミにまともな人間など求むべくもないのだろうか。

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捏造と偏向の綴織 [報道]

 就任した直後の小池都知事に対する自民都連の対応が非常に素っ気なかったことで、あの大人げない態度に不快感を覚えた都民は多いはずだ。先日にはTBSの番組で自民党の議員が握手を拒否したように加工された捏造映像が流されたようだが、写真撮影の拒否とか時間の短さと言った点で嫌な対応だったことは否めない。
 それらを含め、自民都議への反撥は相当に高まっていて、あのときからすでに今回の都議選の結果は決まっていたと言っていい。自身も自民党議員へ投票することを躊躇っていたほどだが、以前にも書いたように、都知事側の団体が公認したのは革新系の中身のない女性議員で、推薦したのは直前に民進党を離党した人物、残りは共産党と自民党であって、結局は消去法により自民党議員に入れざるを得なかった。当選したのは都知事側に公認と推薦を受けた二人である。
 大敗の原因は安倍政権側の問題ではないことは明らかだと思えるのだが(勿論まったくの無関係ではないとはいえ)、そうであるかのような報道や発言が多いこともまた、捏造映像を流すTBSと同じで偏向した姿勢と目論見によるものといえよう。このなりふり構わぬマスコミの狂態は、いったいなんなのだろう。断末魔のもがきなら、いずれ再生の希望も持てるのだが。
 それにしても、例の握手の場面だけ切り取られた映像を見た司会のタレントやコメンテーターの連中は、「これ印象的でしたよねえ」などと間抜けな発言をしており、いかにいい加減で適当に人を批判しているのか分かると同時に、いかに番組制作側の手の平で躍らされているかも了解される。こういう扱いやすい連中だからこそ番組に重用されるのだろうなあ。

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学歴と常識 [見聞]

【こんなことを見聞きしたシリーズその5】

 もうずいぶんと昔、大学一年生のときの話。
 うちの学生はみな泳げなければならない、と余計なことを創立者が主張したため、一年の時だけ全員が水泳の授業を受けることになる。それで水泳パンツ姿でプールサイドにみなでぼんやり立っていたときのこと。
 近くには見知らぬ学生たちしかいなかったが、少し話をし、出身地を聞かれたので「○○県だ」と九州の県名を答えた。それからすぐに列で前に進むことになってプールサイドを歩いていると、前にいるその学生二人が次のような会話を始めた。

 学A「○○県って、四国だよな?」
 学B「んー、いや、九州じゃないかな?」
 学A「ええ、そうかあ? 四国じゃなかったかな」
 学B「たしか九州だよ」
 学A「ああそうか、九州かあ」

 前の学生二人はもう私との会話はしていないし、そのままで二人の会話は何事もなく終わったので、冗談を言っているような気配はまったくない。
 九州と四国に帰属する県を把握していない大学生。念のために書いておくが、決して底辺の大学ではない。というより、その対極にあると知られている大学の筈だ。
 やがて、内部進学者のなかにはまったく勉強していないのも多いらしく、授業について来られなくて留年する者のほとんどがエスカレーター式で大学生になった者たちだと知り、そういうことだったのかと納得した。一般教養の英語の教科書が平均的な学力の高校生でも読めるようなレベルで、何のための入試だったのかと不思議に思っていたのだが、そのわけも同時に了解した。内部進学者のための措置だったわけだ。そしてそれでも単位を落とす者がいる。
 内部進学者にはもちろんピンからキリまでいて、優秀な人間は当たり前にいるが、駄目なやつは学力以前の常識すらわきまえていないほど、とことん駄目なのである。しかし駄目でもたいていは卒業できるもので、しかも家が裕福だったりするからコネで会社にも入れる。かつて入社試験で名前を書いただけと噂される某著名人の息子が犯罪で捕まり話題となったが、経歴としては普通に大学を出て普通に社会人になっていたりする。
 また一般の入試試験とは違う形式で合否を決定する新たな学部もでき、その学部の学生や出身者の無知ぶりが次第に世間へと知られている現状のようでもある。内実を知らなければ学部別の事情や内部進学の事情を考慮することもなく、あの大学の出身者は世間一般の評価とは違って、実は馬鹿なんじゃないのか?と思うことだろう。
 内実を知っていても、九州と四国の県の区別ができない人間と同じ大学卒になっていることに対して、やはり納得いかない気持ちを抑えることは難しい。

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宗教の価値 [宗教]

 世の中には宗教を毛嫌いしている人が多い。掲示板等に書かれているような宗教批判の文言は、ほとんどが単に宗教をよく知らない故の偏見だが、多少はわきまえている人でも、科学的合理的な見地から否定的にならざるを得なかったりする。
 人はよく知らない事柄に対しては、何か印象的な具体例を知ってしまった場合に、それによって全体を認識してしまいがちである。おそらくオウム真理教事件をきっかけに、宗教に対する嫌悪感を持つ人は増えたのだろう。そうでなくとも、ただでさえ宗教はよくわからないものだ。
 ニーチェの超人思想のように、人が新しい神となるべきという思想は、胡散臭い宗教を切り捨てるものとして評価される。自分自身も、そのような思想は価値が高いと思う。
 しかし宗教がこの世からなくなって良いとはまったく思わない。神や教祖を崇め、教えに従い、困ったときにすがるばかりが宗教ではないからだ。
 宗教的行為のひとつに、自分を生かしてくれているものに対する感謝がある。このような感謝の念は宗教の存在理由のひとつだと思われるが、人が仮に新しい神となれたとしても、生命を育む自然や宇宙にはなれない。技術によってそれらの一部を代行することはできても、取って代わることはまずできないだろう。こういう類の感謝の気持ちを人は失っていいものかどうか。
 食事の際に「いただきます」という感謝の念を示すことを、人によってはどうでもいい作法と思うのだろうが、失って良いものだとは思えないのである。

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学者への誤解 [雑感]

 学者という立場の人たちは専門的な知識には豊富だが、それ以外のことに疎く浮き世離れしている、と評されることが多い。しかしこれはまったくの誤解だ。
 学者といえどもほとんど一般の社会人と変わらない。どんな仕事をしていようと、自身が関わっている仕事に関した知識を学んでいる。学者も同じように自身の研究分野に関する知識を学んでいるに過ぎないわけで、その内容が一般の人たちには理解されにくいことから、なにやら自分たちとは違う特殊な人種だと誤解されているだけである。
 学者には奇人や変人が多いとも思われているが、一般の会社員でも同様だ。パワハラやセクハラも、学者の世界であろうとなかろうと見られるものである。
 会社員が才能だけでなく、人心掌握に長けていたり、うまく立ち回ることによっていい地位を得られるように、学者も業績の他にそれらを身に付けていないと学界では埋もれてしまう。嫌われ者が書いた論文は難癖をつけられて拒否され、つまりはそんな感情によって審査結果を左右させる査読者もいる。権勢を有する教授の論文は欠点があっても受諾され、何も持たない者の論文は些細な欠点でも拒否の理由とされるのである。
 学者としてそれはどうかとは思うが、そう思ってしまうのも、学者を特別視しているからだ。どんな世界であれ、良くも悪くも、微妙な人間関係の中に成立している。

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