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残念な役回り [雑感]

 「シン・ゴジラ」を観た。リアルな描写が売りと言うことで、確かにその点は良かったと思うのだが、一方でそれ故にドラマ性の陳腐感が際立ってしまったことを残念に感じた。
 陳腐というのは、石原さとみの演じる人物についてだ。演技が駄目ということではない。むしろ素晴らしかった。問題はああいう役柄の人物が、ドラマ・漫画・アニメ等ではありきたりのキャラで、観ていてこちらが赤面してしまうくらいのステレオタイプのキャラだったことである。
 他にもそういう役柄や台詞はあったが、とりわけ紋切り型のキャラとして突出していたのがあの人物であって、ドラマを展開させるには必要だったとしても、もう少し現実的な人物に描いた方が良かったのではなかろうか。
 石原さとみの映画といえば、もうひとつ残念なものを思い出す。「貞子3D」である。これも演技は素晴らしかったが、ギャグめいた演出がせっかくのホラー感を台無しにしていた。石原さとみの熱演が実にもったいないとがっかりしたものだ。
 ついでにもうひとつ、石原さとみといえば公式な映画デビュー作品も思い出す。筒井康隆の原作だ。某新宗教団体を茶化した小説やエッセイがいくつもあり、その筋の人たちからは嫌われている作家の筈である。新人の頃ならともかく、今なら出ないのだろうな。

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容疑者ドラえもん [社会]

スネ夫「僕の高級どら焼きを食べたのはドラえもんに違いない」
のび太「ドラえもんはそんなことしないよ」
ジャイ「いや、ドラえもんならやりかねないぞ」
のび太「馬鹿なこと言わないでよ」
スネ夫「じゃあ、やってないという証拠を見せろよ!」
ジャイ「そうだそうだ、見せて見ろ!」
のび太「そんな無茶な…」

 注意深く観ていたわけではないので正確ではなく、最後まで観てもいないので結局はドラえもんが犯人だったのかもしれないが、こんな場面をたまたま目にした。
 こんなアニメみたいな追求を現実に、恥じるとか後悔することもなく延々と何ヶ月も継続して、しかもまだ続けていくと表明している野党政治家とかマスコミ関係者とか自称知識人とかがいるらしい。
 税金や公共の電波や媒体などを使っての身を削ったギャグのつもりでもなく、いたって本気らしいのだが、自分たちがマンガ的な言動を演じていることには気づいていないのだろう。たぶん。
 こういうときにいつも思い起こすのは、水商売の人間は宗教と政治と野球の話題を客とするのを避ける、ということだ。自分の信じているものや好きなものに対して、人は客観的でいられないのである。お酒の場では羽目を外して口論になったりしてしまうからタブーとされるのだが、彼らはそんな特殊な席に常在しているわけではなく、特にマスコミ関係者は自身の好みや思想に関わらず客観性を保持して発言しなければならないにもかかわらず、未来の便利な道具がないのをよいことに子供向けのアニメのキャラと変わらないような理不尽で非理性的な発言ばかり垂れ流されるという、馬鹿らしさ。

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サザエさん批判記事 [雑感]

 アンパンマンに対しての不快感を二ヶ月ほど前に書いたが、先日、サザエさんに対して批判的なブログ記事が話題になっていたので読んでみた。常見陽平氏という労働社会学が専門の評論家による記事で、以下にカギ括弧内の引用は同氏のブログによる。
 アニメへの批判として似たようなものだ、と人の眼には映るのだろうが、自分としてはまったく違うとしか言いようがない。その違いについて、というより、かの記事の異様さについて述べてみる。
 不快感を表明していることそのものは同じである。しかしこちらの不快は、そこはかとなく醸し出される不安定な世界観(子供向けの絵でありながら安心感を得られにくいことなどを含む)の伝播が中心で、それはおそらく大人の目だからであり、子供は背後の不安定さなど気にも留めないことだろう。
 しかし、かの記事の批判はそんなものではない。最初にちょっと筋違いだろうと思える点を挙げておくと、「会社や学校に行きたくなくさせるあの破壊力はいかがなものか」というのは、単に曜日と時間帯の問題に過ぎないもので、「ファッションセンスもいまいち」というのも、あの絵柄へ寄せるべき批判点ではなかろう。では批判の核心は何かというと、「家族の枠組みが変わりつつある中、昭和の憧憬時代劇を流されても困る」というものである。
 ただしこれにしても、一見したところいったい何が困るのかさっぱりわからない。「昭和ノスタルジー時代劇に終止符を!」という表現も使っているのだが、そういったものが嫌いだというのはわかるとしても、そんなアニメが放映されることに何が「困る」のというのか。
 しかも、困るどころではないらしい。「SMAPも解散、安室も引退、平成も終わろうとしているのに、あの番組が続いてしまうことに、常に怒りを感じていた」とまで言っている。サザエさんが存続していることに対して「常に」感じている「怒り」は何かというと、どうやら「自立していない、甘えた人材だらけのアニメのどこが優れているのか、問い糾したい」という怒りらしい。
 サザエさんが主人公であるからには、この人はおそらく、家庭の主婦を「自立していない、甘えた人材」と見なしているのだろう。ノリスケは適当な性格のようだが自立していないわけではなく、他には大人で該当する人物は思いつかない。サザエ、フネ、タイコ、といった主婦の存在が時代遅れであるゆえに、嫌いで、問い糾したく、怒りを感じ、困る、というのである。まさか、カツオやワカメ、タラちゃんや中島君といった子供たちを自立していない甘えた人材と糾弾しているわけではないはずだ。
 まあ、注目を集めようとしてわざと激しい言葉を使っているということではあるのだろう。こちらがアンパンマンについて書いたものも多分にその傾向はある。しかし、社会はこうあるべきという理想を、その中身の是非については今はともかくとして、持っていることはわかるが、極端な表明には多少の異様さすら感じられて何だかなあと苦笑や失笑をせざるを得ないものだ。

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希望を騙る党 [政治]

 希望を騙る党は、これでもかと言わんばかりに失敗するための要素のことごとくを獲得していくという、実に面白い興亡劇を見せてくれた。
1.自民都議に対する反感による当選を自分の実力と誤解。これがすべての始まり。
2.都知事としてたいした実績もないのに国政に食指を動かし、都民の反感を買う。
3.素人ばかり集めた政治団体ですぐに国政に打って出て、真面目な有権者の顰蹙を買う。
4.民進党の議員と合流することで、反民進派や保守派の支持を失う。
5.民進党の左派を切り捨てることで、左派やマスコミから反発を受ける。
6.出馬しないことで女性総理誕生を妄想していた支持者が離れる。
7.選挙戦になってモリカケで首相を批判し、テレビに毒されない層から呆れられる。
8.花粉症をゼロにすると公約に掲げ、失笑を誘う。

 もっとじっくり腰を据えて機を窺い、タイミングさえ合えばもう少し何とかなったのかもしれない。都知事選やその後の都議選における成功は王蟲を薙ぎ払ったときの巨神兵のようなもので、一時の歓喜に包まれたが、あっという間に腐って崩れ落ちてしまった。

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悪の枢軸 [政治]

 政治家の問題発言には、わからないで発言しているのなら間抜け、わかっていて発言しているのなら詐欺、というものが多い。
 だからこのような発言の不適正が指摘されても、間抜けか詐欺かのどちらかであったかを説明するのもみっともないから、結局は無視してなかったことにする。しかし今はネットにいつまでも記録が残る。発覚したらすぐに自身の不明を詫びれば多少は傷も浅くて済むかもしれないが、判断を誤るとしばらくは嘲笑のネタとされる。
 民進党議員たちによる一連の右往左往に関連しての発言や、希望を騙る党の代表が社会背景等を無視して「GDP成長率は民主党政権の方が高い」と現政権を貶めた発言などが最近ではそうだ。なお「排除」発言については政党という集団の性格からして何の問題もない。問題視しているのは排除される側の思想に肩を持つ連中による誘導ではなかろうか。
 マスコミでも同様のことがいえる。しかし、菅や鳩山がネタを豊富に提供しすぎて政治的影響力をほぼ消失させたり、蓮舫が代表辞任したり、民主党や民進党への支持が落ち込んだりすることに対し、マスコミへの批判は高まっても、いまだ影響力は消えない。それどころか政党ロンダリングの混乱に乗じて、左派に著しく傾斜した思想もしくは無能ゆえに孤立しただけの一味を持ち上げ、排除発言を問題視し、消えかかった悪名高き民主党の命脈を保たせてしまった。
 憎まれっ子世に憚るということか。いや、自民党が圧勝しようとしているとはいえ、こんな諺ひとつに置き換えられるほど安穏とした話ではない。

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同性愛差別 [社会]

 某芸人のホモキャラ問題はすぐに鎮静化するような下らない話かと思ったら、まだぐだぐだと謝罪やら話し合いやらが続いているらしいので、これに関連した、どうしても以前から解せないと感じていることなどについて書いておく。
 あのキャラは差別的だとは思っていないが、それとは別に、性的マイナリティへの差別をなくすことは良いことだろう。しかし、肝心の同性愛者たちにも問題があることは否定できないのではないか。
 というのは、男の同性愛者が好みの人物の体をべたべたと触ったり、無理矢理にキスをしたりすることはあまり珍しくないことだからだ。私自身も高校生の時に軽く品定めらしきことをされたことがある。人気の無い場所で上級生からしばらく腕や肩や胸元を撫でられ、その間に上級生の男はうれしそうな顔をしていたが、結局はお気に召さなかったらしく大事になる前に解放された。この程度のことで済むなら何でもない話だとはいえ、もう少し不快な目に合わされても、たいていは我慢せざるを得ない。
 しかし男が女性にそういう行為を働けば普通にセクハラであり性的犯罪なのだから、上記のような場合の性的嗜好は男女間の関係とは異なる関係におけるそれであって、決して「普通」ではないのである。
 そしてまた、そのような行為を悪びれることなく行っている同性愛者は、もちろん全員がそうだとはいわないが、自身の立場や性癖に甘えているに過ぎない。その甘えは、世間体を考えて警察沙汰にすることはないと高をくくって女性に手を出す性犯罪者と、何ら変わりないものだ。
 過去に少年をレイプしていたという某若手元俳優がひところ話題になっていた。しかしこれが少女を、という話だったら、もっと非難囂々だったろうし、それ以前に発覚した時点で通報されている。
 また同性愛者の芸能人が、他人に対してハゲとかブスとかデブとか罵っている光景はテレビでいくらでも目にする。それは良くて、同性愛者を罵っているわけでもなくキャラを演じるだけのことを駄目だと糾弾するというのは、まったく理に合わない。
 今回の騒動は、差別どころか物真似すら許されないアンタッチャブルな存在に同性愛者を位置づけることになるわけで、それこそ忌まわしき差別に他ならないのではなかろうか。

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子供ヘイト [見聞]

【こんなことを見聞きしたシリーズその6】

 つい先月のこと。
 駅ビルの二階から階段を降りようとしていたとき、階段横のエスカレーターから女性が一人昇ってきた。二十代後半から三十代くらいの、やや整った顔立ちだが少し派手な化粧で硬い表情をしている。そして少し間をおいて五歳くらいの男の子が同様に昇りのエスカレーターから姿を現した。
 私はその男の子を横目に、ああ親子なのかなと思いながら、階段を降りていく。しかし母親と思しき女性と同じようにその子もあまり元気な様子には見えず、また二人が距離を置いていたことに若干の違和感を覚えつつ降りていると、背後の階上から女性のヒステリックな声が聞こえた。

「あーもう、なんであんたは歩かないで立ったままなの! ほんとにもう、邪魔なんだよ、あー!」

 思わずふり返ったら、やはりさっきの女性だった。男の子の姿は下からの角度では見えなかった。
 状況からして、エスカレーターに乗って歩かずにじっとして昇っていくことを、男の子は理不尽にも痛罵されているのであろうと思われた。急ぎの用があるためにのんびりしている子供に苛ついているのかというとそうでもなく、どこかへ足を進めようと急かしている様子ではない。
 女性の言葉の前半部は、その時の気分によってはつい吐いてしまうこともあるだろう。しかし、「邪魔なんだよ」の言葉はとくに吐き捨てるような感じで嫌悪感に満ちており、最後の「あー!」も抑えきれない憤懣の醜い爆発だった。
 彼女がいる場所は大手スーパーの入り口近くで、普段は駅改札からそのまま流れてくる客が多い。そのときは人足が途絶えていた時間帯だったが、決して付近に人がいないわけではない。そんな中での出来事に驚きつつ、邪魔なんだよと嫌悪感丸出しの罵声を幼い子供に浴びせる女性の心情に慄然とし、そして罵られている男の子の心の内を思い、暗澹たる気持ちで家路についた。
 
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差別という差別 [雑感]

 フジテレビの番組で保毛尾田保毛男というキャラを登場させたことについて、批判的な記事がネットに上がっている。昔ならいざ知らず、今のこの御時世に登場させるとは不見識だ、なぜなら同性愛者を茶化したもので差別にほかならないからだという。
 このテレビ局や番組やタレントを擁護するわけではないが、そのような批判は正しいとは思えない。
 これ見よがしに主張した服装や喋りの実際の同性愛者はテレビによく登場し、たいていの場合、笑いを呼ぼうとして番組に使われている。そして当事者の同性愛者たちも、それに乗っかって笑いを提供しているように見える。そんな同性愛者たちがあのキャラをどう感じているのか、聞き取り調査等をした上での批判なのかどうか。
 ホモという言葉が問題だとしても、それを同性愛者とかニューハーフとかに言い換えればいいということではない。「同性愛者(笑)」とすれば簡単に差別的となる、その程度の問題である。
 多少は不快に感じた者も調べれば見つかるだろう。しかし感性は人それぞれだ。多少はいるという程度なら批判の対象とすることはできない。当事者ではない者たちが勝手に怒りを代弁しているというのが現状で、当事者たちの声が広くあがったときに、ようやく批判として成立するものだ。
 フジの社長は謝罪したそうだが、これまでに謝罪すべき案件は他にあった筈だろうに、それらには無視を決め込んで、こんなどうでもよいことだけ対応する。やはり何かがずれている。

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暗パンマン [雑感]

 アンパンマンのアニメが不快な理由の、残り四点について。
 四つめは、ドキンちゃんである。多くの場合、バイキンマンの悪行を唆すのは彼女であって、同様に満面の笑みで何の罪もない者たちの命を奪いかねない行為に加担する。そしてバイキンマンは結局、ぶちのめされることになるが、だいたいにおいて彼女はそそくさとその場を離れるだけで許されるのである。軽い悪戯程度ならともかく、とてつもない犯罪行為の黒幕でありながら、おそらく女の子という理由によって痛い目にはあわされないという性差別があからさまなのだ。
 五つめ以降はアンパンマンに関することである。まずはよく指摘されることだろうが、自身の顔をちぎって他人に食べさせるという行為の異様さだ。また他のキャラでは、例えばどんぶりまんなどがバイキンマンに襲われて頭の中身を食べられたりするわけだが、とてつもないグロ描写に思えて仕方がない。余談だがどうしてバイキンマンはアンパンマンの頭部を食べようとはしないのだろう。いつも拘束することには成功しているのだから、その際に食べ尽くしてしまえばいいと思えるのだが。
 六つめは、新たな顔に変えられた後の、バイキンマンによって汚されたり潰されたりした顔はどうなったのかという不安感である。カビだらけのくずれたアンパンが転がっている様子が想起されてしまう。
 そして最後の七つめは、バイキンマンを退けた後によく見られる光景である。一件落着してジャムおじさんのパンや、その回の登場キャラが作った食べ物をみんなで食べて平和の回復が表現されるのだが、カレーパンマンなどを含めたキャラたちが楽しく食事をしている中、アンパンマンは卓に着かず、にこやかにその様を眺めているだけだ。
 まるで主人の食卓に同席できない下僕のようで、物悲しい。

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バイ金マン [雑感]

 アンパンマンというアニメがあまり好きになれない。
 子どもの頃から見ていれば大人でも慣れ親しんでいるのだろうが、自分が最初に見たのは成人後で、当初から現在に至るまで見るたびに何とも不安で落ち着かない心地に苛まれる。
 不快の原因をいま数えてみると、片手では足りなかった。長くなりそうなのでここではそのうちの三つの点についてのみ、書いてみる。
 一つはバイキンマンがよく行う悪戯の手口に、すぐに正体をばらすとはいえ、変装して他者になりすまし、悪行の限りを尽くして本人の評判を下げるということだ。
 このアニメだけでなく、他のドラマや映画でも、もちろん作り物だと分かっていてもこういう場面には心が痛む。共感性の心理というやつだ。ただし「地獄少女」のような作品だと、最初から陰鬱な話だと覚悟しているからか、さほど心は痛まない。おそらくアンパンマンの場合は、気楽に見られるはずの絵柄とのギャップによるのだろう。
 二つめは、上に悪戯と書いたが、どう見てもバイキンマンの行為は時として悪戯のレベルではないことだ。本気で殺しにかかっている。それもアンパンマンに対してだけでなく、ジャムおじさんやバタコさんにまで、嬉々として、ニタニタと笑いながら命を奪おうとする。狂気の沙汰である。これに対する不快も「進撃の巨人」のような作品とは違う、気楽に見られるはずの絵柄とのギャップだろう。
 そして三つめは、何度となくバイキンマンに生活の平和を蹂躙されながら、対策をまったく取ろうとしない精神薄弱的な世界であることだ。脅威をいったん遠ざけるだけで、かりそめの平和に満足するという、錯覚の中に成立している不安定な世界が舞台なのである。
 まるで、今の日本の社会で北朝鮮の挑発行為に理解を示す人たちを見るような心地だ。

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