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ベッキーにタイキック [雑感]

 警察官役の黒人俳優の真似をしたら差別だと問題視されている件に関連して、ひょっとしたら冗談で書いているのかと疑ったほどに頓珍漢な記事を見つけた。どうやら一部でよく知られているジャーナリストらしいのだが、志葉玲という名前でヤフーに掲載されていたから(1月6日)、受けを狙ってのものではないらしい。あまりにも面白かったので、その「ベッキーにキック痛打 ダウンタウン年末特番―国連、憲法の視点からも最悪」というタイトルの記事から奇妙な箇所を引用してみる。鍵括弧内が引用文である。

・「浜田雅功が黒人を風刺したかのような黒塗りのメイク」
 風刺とは違うだろう。「かのような」と誤魔化しているが、あれを風刺であるかのように説明していることに、単なるお笑いを社会問題として取り上げるべき事柄と見なそうとする意図が垣間見える。

・「番組中では「タイキック」と表現。タイに対しても失礼」
 なぜタイに対する失礼となるのか説明はなく、いちゃもんのレベル。

・「ベッキー本人も合意済みで腰にパットを入れるなどして、痛みを軽減していた、ということも、もしかしたらあるのかもしれない。ただ、それでも、暴力、それも女性への暴力を男性達がゲラゲラ笑うという本企画の構図自体が、醜悪であるし、不謹慎極まりない」
 たとえ合意があっても「構図」そのものが駄目というのなら、お笑いそのものが成立しない。お笑いどころか、ドラマも映画も、漫画や小説すら成立しない。

・「女性に対する暴力の撤廃は、今や日本も含む国際社会の最優先課題の一つとされているのだ」
 なぜか実際の暴力の問題へと展開する。現実の深刻で悲惨な暴力と、お笑い番組の作り物の行為を同列に論じることが、とてつもなく「失礼」な話なのだが。しかも暴力は男性に対するものでも、もちろん問題であるにもかかわらず、以下、女性に対する暴力だけが問題視される。

・「彼女への暴力を正当化する口実として、不倫騒動を起こしたベッキーへの私刑として行われた、ということも指摘しておくべきだろう」
 そもそも笑ったら尻を叩かれるという、お笑いゆえに無茶苦茶な設定の中で、「正当化する口実」も「私刑」もないだろうに。

・「番組中では「禊ぎ」という言葉が使われたが、禊ぎとは本来、神事の前に沐浴して心身を清める宗教的儀式のことである。つまり、「禊ぎ」が自ら身を清める主体的な行動であるのに対して、ベッキーを男性芸人達が取り囲んで、タイ式キックボクサーに蹴らせるというものは「私刑(リンチ)」に他ならない」
 禊の説明をわざわざ書くことは意味不明。譬えとして「禊は済んだ」などと言って宗教行為を離れて使われることは知らないのだろうか。お笑いの設定だから「私刑」なんてものではないのも明らかなのだが。

・「だが、法律によって刑を執行する刑務官以外の一般人が「刑罰」と称して他人に危害を加える私刑は厳しく禁じられる行為である」
 だから、それを言うなら、笑ったら尻を叩かれるという設定そのものが問題になるのに、なぜかそれには触れようとせずに、ベッキーに対する行為だけを暴力だ私刑だと非難している。しかも、女性への暴力のみが問題なら、これまで女性芸人に同様の行為は幾度となく行われた筈だが、そのことは無視している。
 以下、俳優が演じる悪役を本当の姿だと思い込んで罵倒し非難する式の、テレビの世界と現実世界の区別ができないかのような論評が続く。

・「「ベッキーにタイキック」は、公開で暴行・傷害罪を行った、との解釈もできることなのである」
・「そもそも、不倫を口実にベッキーに第三者が制裁を加えようということ自体が、おかしなことだ。不倫とは民法上の問題、(引用者により中略)だから、配偶者は、不倫した配偶者やその不倫相手に対し、損害賠償請求を行うことができるが、不倫自体は刑事罰を加えられるものではない。まして、不倫を口実に暴力をふるったら、それは暴行・傷害罪となりうる」
 …。
 どういう世界観を持っても、どういう感想を抱いてもいいが、こういう記事が個人のブログではなく大手のニュースサイトに載るということに、少なからず驚かされた。書けばどんなものでも掲載されるほどの大物ではないようだから、掲載の可否が判断された上で許可されたのだろう。
 編集者的な立場の人は、これを読んで納得したのだろうか。

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黒人差別と日本人 [社会]

 年齢を聞かれて「年なんてどうでもいいことをなぜ聞くのか」と憤慨する人は、どうでもいいなら普通に答えればよいということに気づかないで、逆にこだわっている人である。

 黒人俳優の風貌の物真似をしている日本人を見て「黒人の肌の色を侮蔑している」感じる人は、自身が黒い肌を何か触れてはいけないタブーのように見ていることに気づかないで、屈折した差別的な感情を内に抱いている人である。
 かつて差別的な意味において白人が黒い肌の真似をした歴史があったとしても、それは彼らの歴史が抱えている負の遺産であって、日本人の歴史ではない。
 笑いと差別に重なるところが多いとはいえ、笑いはそのまま侮蔑を意味するのではない。白人の俳優の真似をしているお笑いタレントは多くいるが、その真似に対して差別だという声が挙がったことはなく、演じている人にも見ている人にも差別的感情なんてどこにも生じていない。
 真似をしてはいけない特殊な位置に黒人を据えるというのは、そのこと自体が差別であろう。奴隷として虐げてきた歴史のある人たちにとっては未だタブーとしての性格を失っていないのだろうが、そのタブーを無関係の者たちにも押しつけるのは傍迷惑な自己中心的思考であり、また同様の批判をする非西洋人は短絡的で思慮の足りない間抜けでしかない。
 平等や反差別といった主張そのものには誰も異を唱えることはできないが、だからといってそこで検証されている事に対する認識が正しいとは限らず、鵜呑みにしないことが肝要だ。

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少数者の傲慢 [社会]

 数年前からこの時期になると、除夜の鐘がうるさいという苦情が来たからと自粛するといったことが起こっている。これに関しては、寺の存在や鐘を鳴らす風習が昔からあるのだから、後から寺の近隣にやって来た人間が文句を言う筋合いではない、とする意見が多く聞かれる。
 それはもちろんその通りだが、より根本的な問題は、否定論者が大多数なら検討の余地もあるとしても、なぜ少数者の意見に従わなければならないのか、ということにある。
 世の中には様々な意見があるのだから、どんなことにおいても肯定と否定が見られる。100%の肯定がなければ存続不可、というわけはない。個人の趣味ではなく社会的な慣習や行事などの場合、一部の人間ではなく、そこに参加する多くの人の意見が優先されるのは当然であろう。苦情を言う少数派の意見を優先させるのはまったく合理的ではなく、例外的な意見に従うのは多数派の人間の軽視にほかならない。
 野良猫に餌を与えることについて、猫嫌いの人の意見を優先させ、猫好きの意見を封じてしまう風潮の奇妙さについて以前にここに書いたことがある。好きと嫌いという意見のうち、なぜか嫌いという表明ばかりが取り上げられ、それに従わざるを得なくなるというのはおかしいことだろう。そもそも猫は室内飼いが原則という生き物ではなかった筈だ。
 少数者の意見を切り捨てることなく大事にするべきだ、という態度は正しい。しかしこれは、少数者の意見こそが正しい、少数者の意見に従うべき、ではない。こんな単純なことを混同してしまうというのは、ここのところのマスコミが政権批判等に関して意図的に行っている誤誘導が原因だろうと思われる。

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文化とグローバル化 [社会]

 昭和が終わる前後の頃もそうだったが、平成が間もなく終わることが決定した今、また元号の制定の是非が問われるようになっている。というより、元号を廃止する方がいいのではないかという主張が挙がるようになっているということだ。
 廃止を主張する意見によく見られるのは、現在のグローバル化した社会において元号の使用は無意味かつ時代遅れであり、また西暦との併用は面倒だというものである。
 グローバル化への対応の変化はさまざまな分野で行われ、検討されていることではあろう。しかし問題は、文化や伝統よりもグローバル化を優先させるべきものなのかという点にある。元号の使用が日本経済を中心とした諸々の活動に大きな支障を来たし、廃止によってそれが改善されるという状況ならわからなくもないが、そんなことはない筈だ。西暦との併用程度の単純なことを面倒だと感じている人たちは、より複雑な社会生活をどのような意識で日々生きているというのだろう。
 もし多少の弊害があるとして、それを根拠に廃止を主張するなら、そのような主張には伝統文化の軽視が背景となっていると考えざるをえない。廃止したところで我々の生活には何ら困ることはない、と考える人には、世の中のたいていのことは自分とは関わりの無いものだが、だからといって無くなって良いものではない、ということを考えて貰いたい。とりわけ伝統というものは、今現在の価値観のみで軽々しく判断できるものではないのである。
 社会は内と外のバランスで成り立っている。グローバル化という外からの要因のみで内の伝統が蔑ろにされては、肉体だけ頑強で精神が空っぽという情けない姿となるだけで、しかもすでに戦後の日本がそのような状況にあることは喚起されてきている。
 ちなみに自分は、女系天皇は伝統にないからこの先も存在してはならないが、女性天皇は十代八人が過去に存在しているから、現在の皇室典範は改正すべきと考える。女性天皇を否定する規則は過去の女性天皇に対する侮辱である。しかし、世の中には男女平等の理念を根拠に女性天皇を認めよと主張する者がいるわけで、このような理屈はまったくのお門違い、というよりむしろ皇室否定の危険性を孕んでいるとも言っていい。内には内の理屈があることを、日本人はもう少し自覚するべきだろう。

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フェイクのフェイク [社会]

 なぜか、ネットでもあまり大きく取り上げられなかったような気がすることについて、今さら感もあるのだが覚え書きとしての意味も込めて書いておく。
 ここ数年何かと話題となる流行語大賞の件である。今年の流行語のひとつに選ばれた「フェイクニュース」について、発表会場における説明では、「インターネット上でフェイクニュースが蔓延している」といい、そして「自分に都合の悪い情報をフェイクと決めつける新しい使い方をアメリカ大統領が実践した」とも言っている。つまりフェイクニュースはネット上の問題で、なおかつテレビ新聞等のマスコミに対してのフェイクだという批判には正当性がないように解説しているわけである。
 これは流行語大賞のサイトにおける説明でも同様で、「ネット上でいかにもニュース然として流布される嘘やでっち上げ」と、ネット限定の現象であるかのように書かれている。
 テレビ新聞等のマスコミにおいて出鱈目および偏向した報道が数多くなされていることは、もはや改めて指摘するまでもないほど、うんざりするほどの事例があり、しかもますますエスカレートしているようにさえ思われる。流行語大賞は毎年マスコミで大きく取り上げられる風物詩となっているため、そんなマスコミと一体化した組織がマスコミを批判しないよう忖度し、偏った解説を垂れ流しているのだろうが、問題は、その流行語大賞を選定しているのが自由国民社やユーキャンという出版や教育に関わっている組織ということにもある。
 マスコミ人に知性を要求するのは、もはや無理と諦めるしかない。しかし出版や教育の主体となる知識人に公正な認識力や倫理観がなくては致命的だろう。もちろん大学教授の肩書きを持っていても異様に偏った思想や世界観を持つ研究者はいたりするが、単純な言葉の定義の段階で狂っていては、もう本当に致命的と言わざるを得ない。
 世にいう知識人やマスコミ人たちの中に、戦前戦時中の政府による言論統制を批判的に見ない人はおそらくほとんどいないだろう。今や自分たちがそのおぞましい言論統制をしていることに気づいている人は、果たしてどれくらいいるのだろうか。

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調味料隠蔽事案 [雑感]

 以前にもここに書いたことだが、油断していたら再び見舞われてしまった。
 弁当附属調味料隠蔽事案である。
 かつてよく利用していたスーパーの弁当は、なぜか、惣菜の下に醤油やソースの小袋を隠すように入れていた。食べている途中での小袋の発見は、落胆と苛立ちの混ざった不快な感情を引き起こす。いったん電子レンジで熱々となった醤油はおそらく保存が効かないだろうから、捨てざるを得ず、そのこともまた不快を増長させる。
 たとえ食事前に、または温める前に小袋の存在に気づいて取り出しても、惣菜の汁や油にまみれた袋は洗わないといけない。食事を前にして面倒なことこの上ない。
 現在よく利用しているスーパーの弁当は、調味料が必要ないか、もしくは必要な場合は弁当ケースの外側にテープで留められているため、上記のような手間や不快感とは無縁だった。ところが先日買った弁当には外側に調味料が付いておらず、温めた後、自前の醤油を垂らして大きな春巻きを箸でつまみ上げたところ、まさかの醤油の小袋が下から顔を出した。
 裏切られた気分である。
 もはや気を使うこともなく安心し安定した関係を築いているものと思っていた矢先、唐突に別れ話を切り出されたかのように、甘い錯覚に対する無慈悲な現実が突き付けられた。
 真面目な話、惣菜の下に調味料を隠すことに何らかの合理的な意味があるのなら、教えて貰いたい。ないのなら、単に購入者の利便性を考慮していないということだが、ケースの外側にテープ付けする配慮が見られただけに、配慮が徹底されていないのか、テープ経費削減に因るのか、それとも弁当の種類によって異なる事情が存在するのか、気になって仕方がない。

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フェイクの本道 [雑感]

 もはや驚きはしないが、テレビとは何だろうなと改めて呆れたこと。
 先日、三島由紀夫について取り上げる番組があったので観てみた。バラエティだから期待していなかったが、現実に存在し、かつ現在も存在している人物も取り上げるわけだから、そんなに酷いことはないだろうと思っていたら、やっぱり酷かった。
 視聴者を繋ぎ止めるための、嘘ではないがほとんど嘘と言ってもいい煽り文句の繰り返しだったのである。次にそれらを列挙してみよう。

「瑤子さんの意外な行動を初激白」「傷を負わされた自衛官が語る衝撃の事実」
 三島が立て籠もった際に一人の自衛官を負傷させてしまったのだが、事件後、その自衛官のもとに三島夫人が訪ねてきたときのことである。「意外な」とか「衝撃の」とかいうから、とてつもなく非常識な行動を取ったか、あるいは密かに生前の三島から何かを託されたか、などと想像するも、なんのことはない、主人がご迷惑をおかけしましたと謝罪した、というだけだった。
 謝罪が「意外」で「衝撃」とは、いったいどういう理屈なのか。

「事件直前、妻と交わした驚きの会話!」
 外出していた夫人が自宅に電話して、三島に「今日は遅くなりそう」と伝え、それを聞いた三島は「ああ、そうか」と返事した。
 ただそれだけのことである。こういう状況で急に三島が事件にまつわることを語り出したというのなら多少は驚きだが、そんなこともなく、何が「驚き」なのか、さっぱりわからない。

「三島が語る衝撃の未来とは?」
 今年発見された三島の未公開インタビューの中から、「衝撃の未来」を語っている部分をテレビ初公開するという。三島は生前に、日本は経済的に豊かになるが中身のない空っぽの国になってしまうだろうと語るなど、この国の未来を見据え、それゆえにああいう行動をとったわけで、三島の語る未来と言えば国に関することと思える。しかも上記のテロップを出している間、「人が喜ぶようなこと言いたくない」という三島の言葉をかぶせ、あたかも悲観的な未来を語っているような印象にしている。
 しかし実際に語っていたのは、三島さんが70歳まで生きていたらどんな感じになりますかね、との問いに、「いじわるな嫌なじいさんになる。今でもその兆候は出ている。人が喜ぶようなこと言いたくない。嫌なことを言って暮らしたい」という軽口に過ぎなかった。
 これがテレビ屋(TBS)の言うところの「衝撃の未来」らしい。

 さて、上記のような外側と中身に著しい違いのある映像は、YouTubeにいくらでも見ることができる。衆目を集めるタイトルやサムネイルで視聴回数を稼ぐわけだ。そしてテレビも以前からこのような手法で視聴率を稼いでいる。ネットにはフェイクニュースが溢れている、とテレビや新聞において批判的な指摘がよくなされるが、今さら言うまでもなく、偽物、まやかし、嘘の発信はマスコミが本家本元で、なおかつ是正されることなく現在進行形である。

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力士と異文化 [社会]

 数年前、取組に物言いが付いたことに対し、自分が勝っていたのは「子供でもわかること」だと言い放って審判部を侮辱して以来、白鵬を横綱としては軽蔑している。相撲取りとしては強いから、その点には敬意をはらうとしても、横綱としては軽蔑する。
 まあ、自信があってこその怒りにまかせて口が滑ったのだろうが、横綱という立場なのだからそんな斟酌をする必要はない。ましてや人種や文化の違いなどを斟酌する必要もなく、あくまでも横綱としては失格という判断を下さざるを得ないのである。しかもそれについての謝罪もテレビのバラエティ番組において行うという、ちょっと異常な行動で、そんな反省の言葉を信じるのは無理だろう。
 だから今回、また白鵬が自身の取組について問題を起こしたことには、まったく驚かない。横綱失格の人物が横綱失格の行動を取ったというだけで、やっぱりそういうことだよなと再認識しただけだ。
 ただ、より責められるべきは、そんな似非横綱に強く出ることのできない相撲協会の方である。数年前のあのときに注意と、お騒がせして申し訳ないといった感じの曖昧な謝罪めいたものだけで済ませているから、本人の中身は何にも変わっていない。日馬富士の問題にしても無能無策ぶりが目立つ。
 今の世の中、土俵の上では国籍も人種もないと考えるべきなのだろう。しかし土俵を降りたところに外国人同士の派閥を形成し、その中で陰湿な事件を起こしてしまうのでは、結局、国籍も人種もあることをモンゴル人力士らが示している。白鵬は人種差別を受けているといった思いを持っているそうだが、自分の判断に異を唱える日本人の心情に差別を感じているのなら、もはや何をか言わんやである。
 子供でもわかる発言はとんでもない暴言と思ったが、世間的にはあまり白鵬に対するバッシング等はなかったように記憶している。テレビ番組内での謝罪だけが浮いていた印象で、少なくとも暴言によって白鵬の人気が急落したようにも見えない。今回も、日馬富士というより貴乃花親方の話題に掻き消され、注意と反省の弁のみで忘れ去られるのだろう。世間やマスコミは相手が外国出身ということを斟酌しているのだと思われるのだが、これら一連の問題は相撲協会の体質だけでなく、異人種、異文化の存在に抜き差しならず内包されるやっかいな問題なのである。

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残念な役回り [雑感]

 「シン・ゴジラ」を観た。リアルな描写が売りと言うことで、確かにその点は良かったと思うのだが、一方でそれ故にドラマ性の陳腐感が際立ってしまったことを残念に感じた。
 陳腐というのは、石原さとみの演じる人物についてだ。演技が駄目ということではない。むしろ素晴らしかった。問題はああいう役柄の人物が、ドラマ・漫画・アニメ等ではありきたりのキャラで、観ていてこちらが赤面してしまうくらいのステレオタイプのキャラだったことである。
 他にもそういう役柄や台詞はあったが、とりわけ紋切り型のキャラとして突出していたのがあの人物であって、ドラマを展開させるには必要だったとしても、もう少し現実的な人物に描いた方が良かったのではなかろうか。
 石原さとみの映画といえば、もうひとつ残念なものを思い出す。「貞子3D」である。これも演技は素晴らしかったが、ギャグめいた演出がせっかくのホラー感を台無しにしていた。石原さとみの熱演が実にもったいないとがっかりしたものだ。
 ついでにもうひとつ、石原さとみといえば公式な映画デビュー作品も思い出す。筒井康隆の原作だ。某新宗教団体を茶化した小説やエッセイがいくつもあり、その筋の人たちからは嫌われている作家の筈である。新人の頃ならともかく、今なら出ないのだろうな。

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容疑者ドラえもん [社会]

スネ夫「僕の高級どら焼きを食べたのはドラえもんに違いない」
のび太「ドラえもんはそんなことしないよ」
ジャイ「いや、ドラえもんならやりかねないぞ」
のび太「馬鹿なこと言わないでよ」
スネ夫「じゃあ、やってないという証拠を見せろよ!」
ジャイ「そうだそうだ、見せて見ろ!」
のび太「そんな無茶な…」

 注意深く観ていたわけではないので正確ではなく、最後まで観てもいないので結局はドラえもんが犯人だったのかもしれないが、こんな場面をたまたま目にした。
 こんなアニメみたいな追求を現実に、恥じるとか後悔することもなく延々と何ヶ月も継続して、しかもまだ続けていくと表明している野党政治家とかマスコミ関係者とか自称知識人とかがいるらしい。
 税金や公共の電波や媒体などを使っての身を削ったギャグのつもりでもなく、いたって本気らしいのだが、自分たちがマンガ的な言動を演じていることには気づいていないのだろう。たぶん。
 こういうときにいつも思い起こすのは、水商売の人間は宗教と政治と野球の話題を客とするのを避ける、ということだ。自分の信じているものや好きなものに対して、人は客観的でいられないのである。お酒の場では羽目を外して口論になったりしてしまうからタブーとされるのだが、彼らはそんな特殊な席に常在しているわけではなく、特にマスコミ関係者は自身の好みや思想に関わらず客観性を保持して発言しなければならないにもかかわらず、未来の便利な道具がないのをよいことに子供向けのアニメのキャラと変わらないような理不尽で非理性的な発言ばかり垂れ流されるという、馬鹿らしさ。

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