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悪の枢軸 [政治]

 政治家の問題発言には、わからないで発言しているのなら間抜け、わかっていて発言しているのなら詐欺、というものが多い。
 だからこのような発言の不適正が指摘されても、間抜けか詐欺かのどちらかであったかを説明するのもみっともないから、結局は無視してなかったことにする。しかし今はネットにいつまでも記録が残る。発覚したらすぐに自身の不明を詫びれば多少は傷も浅くて済むかもしれないが、判断を誤るとしばらくは嘲笑のネタとされる。
 民進党議員たちによる一連の右往左往に関連しての発言や、希望を騙る党の代表が社会背景等を無視して「GDP成長率は民主党政権の方が高い」と現政権を貶めた発言などが最近ではそうだ。なお「排除」発言については政党という集団の性格からして何の問題もない。問題視しているのは排除される側の思想に肩を持つ連中による誘導ではなかろうか。
 マスコミでも同様のことがいえる。しかし、菅や鳩山がネタを豊富に提供しすぎて政治的影響力をほぼ消失させたり、蓮舫が代表辞任したり、民主党や民進党への支持が落ち込んだりすることに対し、マスコミへの批判は高まっても、いまだ影響力は消えない。それどころか政党ロンダリングの混乱に乗じて、左派に著しく傾斜した思想もしくは無能ゆえに孤立しただけの一味を持ち上げ、排除発言を問題視し、消えかかった悪名高き民主党の命脈を保たせてしまった。
 憎まれっ子世に憚るということか。いや、自民党が圧勝しようとしているとはいえ、こんな諺ひとつに置き換えられるほど安穏とした話ではない。

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同性愛差別 [社会]

 某芸人のホモキャラ問題はすぐに鎮静化するような下らない話かと思ったら、まだぐだぐだと謝罪やら話し合いやらが続いているらしいので、これに関連した、どうしても以前から解せないと感じていることなどについて書いておく。
 あのキャラは差別的だとは思っていないが、それとは別に、性的マイナリティへの差別をなくすことは良いことだろう。しかし、肝心の同性愛者たちにも問題があることは否定できないのではないか。
 というのは、男の同性愛者が好みの人物の体をべたべたと触ったり、無理矢理にキスをしたりすることはあまり珍しくないことだからだ。私自身も高校生の時に軽く品定めらしきことをされたことがある。人気の無い場所で上級生からしばらく腕や肩や胸元を撫でられ、その間に上級生の男はうれしそうな顔をしていたが、結局はお気に召さなかったらしく大事になる前に解放された。この程度のことで済むなら何でもない話だとはいえ、もう少し不快な目に合わされても、たいていは我慢せざるを得ない。
 しかし男が女性にそういう行為を働けば普通にセクハラであり性的犯罪なのだから、上記のような場合の性的嗜好は男女間の関係とは異なる関係におけるそれであって、決して「普通」ではないのである。
 そしてまた、そのような行為を悪びれることなく行っている同性愛者は、もちろん全員がそうだとはいわないが、自身の立場や性癖に甘えているに過ぎない。その甘えは、世間体を考えて警察沙汰にすることはないと高をくくって女性に手を出す性犯罪者と、何ら変わりないものだ。
 過去に少年をレイプしていたという某若手元俳優がひところ話題になっていた。しかしこれが少女を、という話だったら、もっと非難囂々だったろうし、それ以前に発覚した時点で通報されている。
 また同性愛者の芸能人が、他人に対してハゲとかブスとかデブとか罵っている光景はテレビでいくらでも目にする。それは良くて、同性愛者を罵っているわけでもなくキャラを演じるだけのことを駄目だと糾弾するというのは、まったく理に合わない。
 今回の騒動は、差別どころか物真似すら許されないアンタッチャブルな存在に同性愛者を位置づけることになるわけで、それこそ忌まわしき差別に他ならないのではなかろうか。

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子供ヘイト [見聞]

【こんなことを見聞きしたシリーズその6】

 つい先月のこと。
 駅ビルの二階から階段を降りようとしていたとき、階段横のエスカレーターから女性が一人昇ってきた。二十代後半から三十代くらいの、やや整った顔立ちだが少し派手な化粧で硬い表情をしている。そして少し間をおいて五歳くらいの男の子が同様に昇りのエスカレーターから姿を現した。
 私はその男の子を横目に、ああ親子なのかなと思いながら、階段を降りていく。しかし母親と思しき女性と同じようにその子もあまり元気な様子には見えず、また二人が距離を置いていたことに若干の違和感を覚えつつ降りていると、背後の階上から女性のヒステリックな声が聞こえた。

「あーもう、なんであんたは歩かないで立ったままなの! ほんとにもう、邪魔なんだよ、あー!」

 思わずふり返ったら、やはりさっきの女性だった。男の子の姿は下からの角度では見えなかった。
 状況からして、エスカレーターに乗って歩かずにじっとして昇っていくことを、男の子は理不尽にも痛罵されているのであろうと思われた。急ぎの用があるためにのんびりしている子供に苛ついているのかというとそうでもなく、どこかへ足を進めようと急かしている様子ではない。
 女性の言葉の前半部は、その時の気分によってはつい吐いてしまうこともあるだろう。しかし、「邪魔なんだよ」の言葉はとくに吐き捨てるような感じで嫌悪感に満ちており、最後の「あー!」も抑えきれない憤懣の醜い爆発だった。
 彼女がいる場所は大手スーパーの入り口近くで、普段は駅改札からそのまま流れてくる客が多い。そのときは人足が途絶えていた時間帯だったが、決して付近に人がいないわけではない。そんな中での出来事に驚きつつ、邪魔なんだよと嫌悪感丸出しの罵声を幼い子供に浴びせる女性の心情に慄然とし、そして罵られている男の子の心の内を思い、暗澹たる気持ちで家路についた。
 
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差別という差別 [雑感]

 フジテレビの番組で保毛尾田保毛男というキャラを登場させたことについて、批判的な記事がネットに上がっている。昔ならいざ知らず、今のこの御時世に登場させるとは不見識だ、なぜなら同性愛者を茶化したもので差別にほかならないからだという。
 このテレビ局や番組やタレントを擁護するわけではないが、そのような批判は正しいとは思えない。
 これ見よがしに主張した服装や喋りの実際の同性愛者はテレビによく登場し、たいていの場合、笑いを呼ぼうとして番組に使われている。そして当事者の同性愛者たちも、それに乗っかって笑いを提供しているように見える。そんな同性愛者たちがあのキャラをどう感じているのか、聞き取り調査等をした上での批判なのかどうか。
 ホモという言葉が問題だとしても、それを同性愛者とかニューハーフとかに言い換えればいいということではない。「同性愛者(笑)」とすれば簡単に差別的となる、その程度の問題である。
 多少は不快に感じた者も調べれば見つかるだろう。しかし感性は人それぞれだ。多少はいるという程度なら批判の対象とすることはできない。当事者ではない者たちが勝手に怒りを代弁しているというのが現状で、当事者たちの声が広くあがったときに、ようやく批判として成立するものだ。
 フジの社長は謝罪したそうだが、これまでに謝罪すべき案件は他にあった筈だろうに、それらには無視を決め込んで、こんなどうでもよいことだけ対応する。やはり何かがずれている。

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暗パンマン [雑感]

 アンパンマンのアニメが不快な理由の、残り四点について。
 四つめは、ドキンちゃんである。多くの場合、バイキンマンの悪行を唆すのは彼女であって、同様に満面の笑みで何の罪もない者たちの命を奪いかねない行為に加担する。そしてバイキンマンは結局、ぶちのめされることになるが、だいたいにおいて彼女はそそくさとその場を離れるだけで許されるのである。軽い悪戯程度ならともかく、とてつもない犯罪行為の黒幕でありながら、おそらく女の子という理由によって痛い目にはあわされないという性差別があからさまなのだ。
 五つめ以降はアンパンマンに関することである。まずはよく指摘されることだろうが、自身の顔をちぎって他人に食べさせるという行為の異様さだ。また他のキャラでは、例えばどんぶりまんなどがバイキンマンに襲われて頭の中身を食べられたりするわけだが、とてつもないグロ描写に思えて仕方がない。余談だがどうしてバイキンマンはアンパンマンの頭部を食べようとはしないのだろう。いつも拘束することには成功しているのだから、その際に食べ尽くしてしまえばいいと思えるのだが。
 六つめは、新たな顔に変えられた後の、バイキンマンによって汚されたり潰されたりした顔はどうなったのかという不安感である。カビだらけのくずれたアンパンが転がっている様子が想起されてしまう。
 そして最後の七つめは、バイキンマンを退けた後によく見られる光景である。一件落着してジャムおじさんのパンや、その回の登場キャラが作った食べ物をみんなで食べて平和の回復が表現されるのだが、カレーパンマンなどを含めたキャラたちが楽しく食事をしている中、アンパンマンは卓に着かず、にこやかにその様を眺めているだけだ。
 まるで主人の食卓に同席できない下僕のようで、物悲しい。

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バイ金マン [雑感]

 アンパンマンというアニメがあまり好きになれない。
 子どもの頃から見ていれば大人でも慣れ親しんでいるのだろうが、自分が最初に見たのは成人後で、当初から現在に至るまで見るたびに何とも不安で落ち着かない心地に苛まれる。
 不快の原因をいま数えてみると、片手では足りなかった。長くなりそうなのでここではそのうちの三つの点についてのみ、書いてみる。
 一つはバイキンマンがよく行う悪戯の手口に、すぐに正体をばらすとはいえ、変装して他者になりすまし、悪行の限りを尽くして本人の評判を下げるということだ。
 このアニメだけでなく、他のドラマや映画でも、もちろん作り物だと分かっていてもこういう場面には心が痛む。共感性の心理というやつだ。ただし「地獄少女」のような作品だと、最初から陰鬱な話だと覚悟しているからか、さほど心は痛まない。おそらくアンパンマンの場合は、気楽に見られるはずの絵柄とのギャップによるのだろう。
 二つめは、上に悪戯と書いたが、どう見てもバイキンマンの行為は時として悪戯のレベルではないことだ。本気で殺しにかかっている。それもアンパンマンに対してだけでなく、ジャムおじさんやバタコさんにまで、嬉々として、ニタニタと笑いながら命を奪おうとする。狂気の沙汰である。これに対する不快も「進撃の巨人」のような作品とは違う、気楽に見られるはずの絵柄とのギャップだろう。
 そして三つめは、何度となくバイキンマンに生活の平和を蹂躙されながら、対策をまったく取ろうとしない精神薄弱的な世界であることだ。脅威をいったん遠ざけるだけで、かりそめの平和に満足するという、錯覚の中に成立している不安定な世界が舞台なのである。
 まるで、今の日本の社会で北朝鮮の挑発行為に理解を示す人たちを見るような心地だ。

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宗教と課税 [宗教]

 掲示板等に書かれているような宗教批判の文言は、ほとんどが単に宗教をよく知らない故の偏見と以前に書いたことについて具体例をもうひとつ。
 宗教法人に対して非課税の部分が多いことに批判的な意見が多いようだが、これは批判とすべき事柄ではない。なぜかというと、税を普通に課してしまえば、日本の伝統宗教の文化は多くが瓦解してしまうからだ。
 神社もお寺も、一部の大規模の組織を除いて、ほとんどが零細な法人であり、僅かなお賽銭やお布施だけでは「儲け」などまったく出ない。宮司の肩書きを持っていても普段は会社で働いて生活費を稼ぎ、祭のときにスーツから神主の装束となってようやく神社を維持していたりする。
 大規模で著名な神社なら丸儲けかというと、そうでもない。大きければそれだけ管理する摂社末社も多くなり、建造物の維持、人件費、祭祀執行の費用など莫大にかかる。
 金回りの良いきらびやかな一部の新宗教の姿をもって、それを非課税ゆえの宗教法人の姿だと思って批判するのは、大きな間違いである。新宗教には課税して伝統宗教には課税しないといった差別を設けるわけにもいかないであろうし、伝統宗教と新宗教の区別も難しい。ある仏教の僧侶が「新宗教はいけませんねえ」と嘆いているのを聞いて、創価学会とかのことを言っているのかと思ったら、鎌倉仏教のことだったという笑い話もある(うろ覚え)。
 宗教を隠れ蓑にして金儲けに勤しんでいる宗教者もいるのだろうが、政治家は賄賂を貰い、アイドルは枕営業しているのだ、といった決めつけと同じで、どの世界でも見られるように、そういう人もいるという程度のことだ。宗教思想を含めて儀式も建造物も、多くが文化的価値を持っていることを忘れてはならないだろう。

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狛犬知らず [雑感]

 有名な番組なので見ていた人も多いだろう。神社にやって来た外国人(アメリカ人か)が狛犬を目にし、これは何かと同行している番組ディレクターに聞いた。すると、「えっと、あのー、こまいぬ?いや、ちょっとわからない…」と困惑しながら答えた。
 そして別の神社で稲荷社の前にある狐の像を目にして、さっきと違ってどうしてこれは狐なのかと質問したが、やはり、わからないと返答していた。
 狛犬の歴史とか特殊な知識を問われたというわけではない。たとえこのディレクターが宗教に関心がなかろうと、あるいは別の宗教のみを熱心に信仰していようと、古くからこの日本のいたるところに当たり前のように存在している狛犬を認識していないとは、いったいどういうことだろう。
 いくらバラエティ番組とはいえ、公共の電波に乗る番組の制作現場の責任者がこんなにも無知では、われわれはいったい何を見せられているんだろうと考えてしまう。
 前回、某番組で「準じる」と「殉じる」を間違えていたことを書いたが、その番組は本を紹介する番組だったらしい。それなりに言葉に関わる知識が求められていながら、その程度のレベルであり、バラエティとニュースとドキュメンタリーが融合したような番組ばかりにあっては、問題はテレビ界全体にわたるものといえるのではなかろうか。

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違和感と多様性 [雑感]

 このブログでも何度か用いているが、何事かに対する「違和感」の指摘というものは、記事やエッセイを書くには実に安直な手法だなと思う。
 人の生きてきた環境も嗜好も思想も様々であり、世の中には違和感を覚えるものはいくらでもあるからだ。スポーツに興味がなければそれらに熱狂する者には違和感があり、高校野球を見れば学生としては少数派の坊主頭に違和感を、彼らが厳しい表情でプレーしても笑いながらプレーしても人によっては違和感を覚えるだろうし、応援団にもチアガールにもブラスバンドの演奏にも、負けて砂を集める習慣も変だと思えば変に思えるものである。
 他人が握ったおにぎりを平気で食べる者もいれば苦手に思う者もいるし、店で料理人が作った料理は普通に食べられても、他人の家庭で出された料理は苦手だったりする。
 家庭、地域、世代、文化等といった違いによって、当たり前と思うものもあればそうとは思えないものもあり、その中で自身が感じた違和感に指摘することの意味があることならいいが、それがどうしたとしか思えないものも、とくにネットの記事には多いような気がする。
 一方で、ある種の事柄に関しては、多様性や自由や権利を理由に、違和感の指摘が憚られている場合もある。前者との違いは必ずしも明確ではなく、場合によっては利害が絡む特殊な思想が原因だったりする。その特殊な思想そのものに対する違和感も、公に指摘されることは滅多にない。
 ともあれ、違和感の指摘に対する違和感を指摘してみた次第。

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被害者面 [報道]

 ネット上に、テレビはなぜネットのデマに躍らされるのか、というタイトルのニュース記事があった。
 しかし、もはや捏造の元凶をネットに押しつける構図そのものには説得力がない。騙されるテレビ側の無能さについての指摘は正しいが、ネットの悪とテレビの正義という前提が垣間見えるのは、やはり未だにテレビに対する信頼を疑っていないからで、悪意や無能の存在はネットでもテレビでも同じである。テレビのデマに躍らされているネット記事はいくらでもある。
 テレビ側の無能については実体験として承知している。詳しくは書けないが、一昔前の渋谷のチーマー然とした風体のディレクターに、いい加減なネット情報をあたかも自分の専門的な知識のようにカメラ前で話すよう要請されたことがあった。その際に知った制作者側のどうしようもない知性や品性に、ほとほと呆れかえってしまい、それ以来、かの番組を観ることはなくなった。
 先日、某番組のテロップで、「殉じる」とすべきところを「準じる」と出しているのを見た。それは出演者が語っている言葉だったが、本人に確認することもしていないわけだ。ADが打ち出したであろう文字をDが確認しなかったか、しても間違いと理解できなかったらしい。
 雑誌書籍などで誤植が出るのは編集者にとって恥ずべき事だが、テレビ屋にとってはそれほどでもないから、文字の確認作業は定着していないのだろう。映像と音にこだわっても、文字には無頓着では、いくらテレビとはいえ伝えることの基本がなっていない。所詮、その程度のメディアに過ぎないことは、最近はよく知られるようになったと思われるが、周知されるという程になるのはいつのことだろうか。

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